マエストロへの道を進む沖澤のどか 藝大での挫折からブザンソンで優勝するまで

沖澤のどかさん


指揮研究員というポストで、在学中の半年間は東京から通っていたのですが、卒業後(ちなみに彼女は指揮科を首席で卒業している)に金沢に移住し、一年間は事務局員としても働きました。

何しろ、井上先生は思いつきで声をかけてくださったところもあって、指揮研究員というポストはそもそもなかったので当然予算もなく、事務局員のパートとして働くというオプションに落ち着きました。

最初の半年くらいは事務局の方々から冷たい視線を浴びていましたね。なんで業務時間に客席でリハーサルを聞いてるんだと怒られたり、それなら有給休暇を取りなさいと言われたり。もう、オーケストラのみなさんには同情してもらえるくらい(笑)。

ただ、このような環境も「音楽に対する渇き」を実感できる機会としては、いい体験だったなと思います。この時期があったから、自分は演奏する方が向いている、そうするべきだと確信に変わりました。また、オーケストラと一緒に生活する感覚が染み付いたこともよかったと思っています。がむしゃらに働いているうちに徐々に受け入れてもらえ、今では金沢は帰る場所のひとつであり、家族のような存在になっています。

金沢のあとは藝大の大学院に戻り、高関先生に就いて学びました。学部時代に教えていただいたあとに、この先生からまだ学び足りないと思う部分があったのが大きかったです。そのうちの1年は働きながら、留学の準備もしたりしました。



キャリアとしてのコンクール


昨秋にようやく修了したのですが、藝大の大学院を修了したあとはベルリンのハンス・アイスラー音楽大学院に留学していました。先に留学していた藝大の先輩のオススメということもあったのですが、留学先をベルリンに決めた理由のひとつは「コンクールの受けやすさ」でした。

一般的に指揮のキャリアは、(錚々たるマエストロたちがそうだったように)劇場に入って、コレペティトゥアという「音楽コーチ」として修行をはじめ、少しずつ稽古を重ねながら、ソロレペティトゥア、ストゥーディエンライター、第2カペルマイスター、第1カペルマイスターという階段を上り、音楽監督となるのがいちばんいいコースだと言われています。

しかし実際のところ、今日ではそんなコースはあまり存在していなくて、ピアニストやコレペティトゥアとしてキャリアをはじめると、うまくいっても劇場付きの指揮者止まりなんです。では、いわゆる音楽監督(ジェネラル・ミュージック・ディレクター、GMD)になるのはどういう人かというと、コンクールに優勝して、いろんなオーケストラのゲストで指揮をして経験値を高め、オペラにもお呼びがかかるようになった上で、音楽監督のオーディションを受けているケースが多いです。
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文=山本憲資

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