しかし、昨年、その日本代表に継続して招集され、7試合で先発を果たしたことを境に、海外でプレーする夢が再び頭をもたげてきた。森保ジャパンの主軸を担う、ヨーロッパのクラブに所属する選手たちとピッチの内外で同じ時間を共有しながら、カルチャーショックに近い刺激を受けたことが理由だった。
「ヨーロッパ組は本当にタフな選手たちが多いと一緒にいて感じていました。彼らと話をしていて、向こうでは日本のJリーグとは環境も大きく異なっていて、周囲とコミュニケーションを取ることを含めて困難がたくさんあると聞かされているうちに、僕自身にもそうした困難が必要だと思うようになったんです。それらを乗り越えていけば、さらに強くなっていけると、もう一度自分に火がつきました」
ただ、J1で前述したような好成績を残したところで、海外から声はかからない。まもなく27歳になる、決して若くはない自分は目に留まらないのか。こうした忸怩たる思いも脳裏をかすめ始めたなかで、新型コロナウイルスですべての公式戦の中断が余儀なくされているなか、ロストフからオファーが届いた。
「最初は興味があるという話でした。自分でも予想していなかったロシアという国だったこともあり、正式なものが来たら考えますと代理人には伝えましたが、けっこう早い段階で正式なオファーも届きました。最初は行く、行かないが半々でしたけど、年齢的にもラストチャンスだし、新型コロナウイルスで経済的にも難しい状況でオファーを出してくれたことへの感謝を考え、葛藤はありましたが、1週間ぐらいで『これは行かなければいけない』と思い始めました」
石川さんもかつては、海外へ移籍するか否かで揺れ動いた時期があった。アスリートならば誰でも、より高いレベルでプレーしたいと望む。ワールドカップの舞台で活躍する自身の姿から逆算し、弾き出した橋本の決断を伝えられた石川さんは、笑顔で背中を押してくれたという。
「ナオさんからは『18番』のことは気にするな、頑張って来いと言われました。まずはサッカー以外の面で、どれだけストレスに打ち勝てるか。コミュニケーションを含めて、ストレスなくサッカーができる環境を整えたいと思っていますけど、ちょっとしたストレスならばどれだけ受け流せるか、あるいは処理できるかというところも意識してやっていきたい」
今年1月に結婚を発表した夫人を日本に残し、当面は単身で文化も風習も日本とはまったく異なるロシアの地で新たな勝負をかける。その胸中には「18番」への感謝の思いが芽生えている。
「一時は伸び悩んでいると、自分に対して思っていたこともありました。それでも『18番』を背負ったことで自分自身にプレッシャーをかけ、メンタル的にも成長したと思っています。ロシアで活躍することが、お世話になった人たちへの恩返しになると思って頑張ってきます」
その恩返しを誓う1人が石川さんだからこそ、ロストフでも「18番」を背負い、海外で成功する夢を具現化させたいと望んだ。どこまでも純粋に。そして、一度決めたからには真っ直ぐに。
背番号に導かれた橋本の挑戦は、来月からプレミアリーグが開幕するロシアで、新たなステージへと突入する。
連載:THE TRUTH
過去記事はこちら>>