そもそも「ブラック」なんて存在するのか? 接触と分裂のアメリカ音楽から考える

アメリカ文学、アメリカ文化、ポピュラー音楽研究者。東京大学名誉教授の佐藤良明


単純な型に物事を当てはめ理解しようとする姿勢を佐藤は「幼児化した感情」と表現し、過度の「わかりやすさ」を求める現代のあり方に危機感を抱く。

「今回のBlack Lives Matterに関しても注視しています。アメリカがいよいよ崩れてきて、ざわざわしています。銅像の引き倒しなどにも表れているように、分断された社会のなかでごく単純な敵意が剥き出されているような。つまりみんな幼児化した感情の中へ投げ込まれているんです。90年代にアメリカのテレビ番組を見ていて、その低俗さの質が別次元になってきたように感じたことがあります。気色悪い人を壇上に上げてしゃべらせて、それをフロアの人が罵倒するという番組が視聴率を上げていく。嫌なやつをターゲットにして攻撃することで、大衆の人気を得るという幼児的なやり方です。多くの人は心の幼い部分を抱えているから、そこに訴えかけると力になるんですね。このような幼児的な手法はその後さらに洗練されていって、悲しいことに、大統領選でも使われるようになっています」

今回のBlack Lives Matter運動は、コロナ禍の不安やトランプ政権下での不満が表出し、大きなうねりとなったとも言われている。佐藤の言う「幼児化」について、現代の分断社会を紐解く鍵となるかもしれない。そう思い、もう少し尋ねてみた。

メンフィス
多くの音楽やミュージシャンがテネシー州メンフィスから輩出された。(Getty Images)

「例えばどういう映画がウケるかを考えると、その瞬間の反応でザクッ、バサッとくるような映像が釘付けにするわけですよ。アメリカはフリービジネスの国です。大衆の欲望に合致したコンテンツはもてはやされる。そこでウケる映像や音楽がだんだん刺激に依存していく。その場合の刺激は人間の精神のありようを変えていく。つまり動物的に怖かったり、ヒヤヒヤする状態に閉じ込めている方が集客力が大きいという発見がある。昔の映画を見ていると、テンポが遅くて、辛抱を強いられるでしょう? 現代のような、身体と直感に訴えかける情報過多の時代に、5秒で処理できないものはウケないですよね」

わかりやすさに依存する社会は人間の思考を奪い、そして「分断」が起こりつつある局面にももはや気づくことすらできなくなるのかもしれない。

冒頭の佐藤の問いに戻ろう。

「ブラックっていう切り出し方がもうすでに問題含みなんですよ。黒人って何? っていう」

「Amazing Grace」は黒人の賛歌ではなくイギリス人牧師が書いた歌だ。「白人による白人のための音楽」とも言われるカントリーミュージックはイギリスやアイルランドの民謡と、南部に暮らしていたアフリカ系の人々の音楽伝統が混じり合って生まれた音楽だ。元来「黒い音楽」と元来「白い音楽」があるわけではなく、庶民の音楽は混じり合い、互いに影響を与え合いながら生まれていく。そもそも脚色され、さまざまな要素が混在する社会において本質的に「黒い」人間や「ブラックな」音楽なんて存在するのだろうか。

「音楽が皮膚の色で規定されなくなったのは、進歩ではありますよね。ホイットニー・ヒューストンとセリーヌ・ディオンとどちらが黒いか白いかなんて気にとめる人もいないでしょう。そもそも人種で音楽は語れないんですよ」

ブラックとは何だろう? 分断が表出しやすい時代だからこそ、誰がどうやって生み出した区分なのか、いま一度冷静に考えたい。

文=河村優

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