ウイルスと音楽 「見えないものに宿る力」

アムステルダム(コンセルトヘボウ)でのピアノリサイタル


ひとたび愚痴や弱音を吐いてしまえば、目に見えない「言霊」によって「負のスパイラル」に簡単に引きずり込まれてしまう危機的状況だった。

私は「陰の気」に支配されてはいけないと本能的に感じ、極力ポジティブな言葉で乗客を励まし(乗客のほとんどが高齢の英国人だった)、できる限り明るく笑顔で振る舞うよう務めた。この点、カリブ海の「陽気」や、ウィットに富んだ「陽気」な船員船客たちにも助けられ、それほど難しいことではなかった。

しかし、日本時間の3月11日、我々は感染の疑いから隔離されていた乗員乗客数名の陽性が判明したことを船内アナウンスで知り、いよいよ恐怖は現実のものとなった。元々の旅程では、12日に旧イギリス領のバルバドスで下船し、そこからロンドンへ飛行機で戻る予定だったため、この知らせを耳にした時の我々の落胆はすこぶる大きかった。


船長の船内アナウンスに絶望感をつのらせ、母国で待つ家族へ深刻な状況を報せる英国人乗客たち

「あと1日」というタイミングであったし、「3.11」は奇しくも私の誕生日だった。日本人としては、「またしても、なんという皮肉!」と思わざるを得ない状況で、気まぐれな神様の悪戯(イタズラ)をすんなり受け入れる気にはなれなかった。

そんな中、私は船内の大劇場で3回目のピアノリサイタルを行った。感染拡大を避けるため、そのコンサートが大劇場での最後のイベントとなったこともあり、シアターは多くの英国人のお客さんで埋め尽くされた。

ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、リストといったクラシックの名曲の他に、「3.11」直後に私自身が作曲し、最近では世界平和や人類の幸福を願って演奏する機会も増えている『Grace&Hope〜祈り、そして希望〜』 (2011) を弾いた。この曲を演奏するにあたり、私は「3つの祈りと願いを込めて演奏したい」旨を聴衆に伝えた。

一つ目は、9年前の同じ日に起きた東日本大震災の犠牲者への鎮魂と被災地の復興。二つ目は、新型コロナに感染し船内で隔離されている船客船員が回復し、運命共同体である我々全員がどこかの国の港で下船し、英国で待つ愛する家族や友人たちの元へ無事に帰れること。そして最後に、このパンデミックが1日も早く終息し、世界中の人々が穏やかに平和に暮らせる世の中になることであった。

演奏中、客席からすすり泣く音が聞こえてきた。目に見えない「大いなる力」につき動かされ、私の演奏にも自然と「魂」が宿る。そして、私たちは音楽によって「心が一つ」になる感覚を味わった。
次ページ > 稲妻に打たれるような強烈な出会い

文・写真=平井元喜

ForbesBrandVoice

人気記事