ウイルスと音楽 「見えないものに宿る力」

アムステルダム(コンセルトヘボウ)でのピアノリサイタル

英国の劇作家シェークスピアが「我々の想像力は、目の前にある現実をより恐ろしいものにする」と書き残しているように、ひとは「目に見えないもの」に怯え、恐怖する。しかし、「目に見えないもの」は時に我々を元気づけ、人生を変えるほど心を動かすこともある。

実際、我々は目に見えない「香り」に癒され気分が上がったり、「音」や「味」になぐさめられ、幸せな気分になることがあるし、握手やハグをした時に「触覚」を通して全身に血が巡り、一瞬にして心が温まることもある。

私自身、音楽家として「目に見えない」音楽の持つ力やその神秘性に日々感動し、インスパイアされている。とりわけ演奏家としては、ライブでしか味わえない「臨場感」は格別だ。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を真っ芯に喰らい、2月以降、一瞬にして20数公演がキャンセルとなり、2年先どころか2カ月先の公演すら見通しが立っていない状況であるから、ひたすらこの感覚に飢えているといえる。

「病は気から」というが、空気、雰囲気、気合、運気、人気、無邪気、不気味……など、我々は日常、見えない「気」に囲まれて生活している。ライブはこうした気に囲まれた「生きもの」と言っていい。


七ヶ浜国際村ホール(宮城県)での復興支援コンサート。被災地の聴衆と心を一つに鎮魂の祈りを捧げる

やはり「生(なま)」は違うのだ。パフォーマーと聴衆が目に見えない気を全身から発し、交換し、互いに気を贈り合う。それは偶発的に一期一会の「魂と魂のコミュニケーション」を創造する。

聴衆と一体化する鳥肌の立つようなこの感覚に加え、時々スポーツなどで語られる「ゾーン」に入ることもある。英語では「ワンネス(ONENESS)」というが、宇宙や自然と一つになる感覚は、まさに禅でいう「無我」の境地そのものであろう。

ライブはパフォーマーと聴衆双方に「第六感」「第七感」までフル稼働させ、バーチャルではとても味わうことのできない特別な「体験」を生む。そして、そこから得られる「幸福感」は筆舌に尽くし難い。

苦境に立たされた時こそアートや音楽を


前回のコラムに一部書いたが、今年3月、「音楽の力」とその素晴らしさを改めて知る人生を変えるほどの体験をした。クラシックのゲスト・アーティストとして乗船したクルーズ船で、新型コロナ感染者が多数出たために閉じ込められ、各国から上陸を拒否されるなか、中南米、カリブ海、バハマ沖を3週間あまり漂流した。


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文・写真=平井元喜

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