不快感を避けず、受け入れるべき3つの理由

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精神的苦痛をできる限り避けたいと思うのは自然なことだ。しかし皮肉なことに、苦痛を避けようとすることで、長い目で見ればより激しい苦痛を生んでしまうこともある。

私はセラピストとして、何度もそうした事例を目にしてきた。私のオフィスを訪れる人の多くは四六時中、嫌な気持ちを避けようとしている。しかし、不快感から逃れようとするとほぼ常に、さらに惨めな状態に陥ってしまう。

ストレスを感じるたびにスマホに手を伸ばしてしまう人もいるだろう。ところが何も考えずにソーシャルメディアの画面をスクロールしても、現実から逃れられるのはほんのわずかの間だけだ。自分よりも幸せで、健康で、裕福に見える人の姿を一瞬見るだけでも、自分の人生が惨めなものに感じてしまう。

あるいは、寂しさを食べ物で紛らわす人もいる。たくさん食べることで、たとえ短時間でも心の傷が癒されると感じるのだ。しかし食べ終えてすぐに孤独感が蘇るため、お腹が空いていないのに冷蔵庫をまた開けてしまう。

こうした悪循環は自分ではなかなか認識できないもので、断ち切るのはなおさら難しい。しかしこうしたパターンを特定して止めるまでは、負の感情のスパイラルから抜け出せないだろう。

今感じている精神的苦痛からすぐに逃れるためなら手段を選ばないような状態になった経験は、誰にでもあるだろう。それが長く続く苦痛につながる可能性があったとしても、その瞬間はそうした結果について考えられない。たとえ短期間であっても、嫌な気持ちをなくすためなら何でもしようと思うものだ。

長期的な変化をもたらすための第一のステップは、自分が選ぼうとしている対処法が不健全であると悟ることだ。以下に、最終的により大きな問題につながる可能性がある短期的な解決方法を3つ挙げる。

1. 痛みを紛らわす


一日のストレスを癒すためにワインを飲みながら好きな番組を一気見したり、やけ食いをしたり、退屈のあまりソーシャルメディアを眺めたりと、人間はさまざまな方法で痛みを紛らわそうとする。

この手の解決策は一時的に不快感を和らげるかもしれない。しかし、そうした行為が、つらい時期を乗り越える際の心の支えとなるのは危険だ。

感情を抑えて痛みを紛らわすと、学びや成長、癒しにはつながらない。不健全な習慣は、感情を解消できない上、体の健康、社会生活、精神的な健康に害を及ぼす可能性がある。
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編集=遠藤宗生

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