どんな人の人生にも、「死」は平等に訪れる。しかし、自分に人生の最期があることを日々意識して生きている人は、どれほど存在するだろう。
普段、真剣に考えてはいないが、ふとした瞬間によぎる、生きる意味や死への恐怖に、私たちはどう向き合い、どう生きていくべきなのか。
医師と僧侶、2つの肩書きを持つ人たちの貴重な経験、そして生き方から、生きるとは何なのか、大切な人、そして自分に来たるべき最後が訪れたとき、どう向き合っていくべきなのかを考える。
故・田中雅博氏:「看取りのスペシャリスト」として
故・田中雅博氏は、住職をしながら診療所で医師として働き、終末期の患者の緩和治療などに従事していた。緩和治療、それは患者さんの死への恐怖を遠ざけ、穏やかな気持ちで生きられるようにする治療のことで、医師にして僧侶でもある田中氏はまさしく「看取りのスペシャリスト」であった。
ところが2014年10月、自身にも末期の膵臓癌が見つかった。この診断の後、彼は450日間にも渡るNHKのドキュメンタリー出演や、「進行癌になった医師で僧侶」としての体験談を綴った本の出版などを行った。それは、「究極の理想の死」を記録するための活動だった。
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この段階では、彼自身は「生きることの執着を捨てる」ことができていたように思える。加えて田中家は、奥さんも麻酔科の医師で僧侶、娘さんも医師という家庭だった。そのため、がんの終末期をこれほどまでに穏やかに過ごせる環境はないと思われた。
そして迎えた死「結局はすべてが他人の死」なのか……
しかし、現実はそう簡単なものではなかった。
田中氏には、妄想のような症状が出始めていた。そして、最後に心停止した際、事前にはDNR(蘇生措置拒否:終末期医療において心肺停止状態になってから二次心肺蘇生措置を行わないこと)の方向でいたが、奥さんの意向で心臓に注射、そして心マッサージも施したのだ。がんの終末の最期で、今ではほとんど行われない蘇生術だった。
死に対して百戦錬磨の奥さんでも、夫の死はそれとは大きく異なるものだったようだ。奥さんは、僧侶であり、医師であったが、しかし、それでもその前に人間であった。心から、夫に生きていて欲しかった、どうしても生きていて欲しかったのだ。
夫が火葬された後も、奥さんはその骨を拾うことはできなかった。ただ、火葬場に向かう霊柩車を泣きながら見送った。