「医師にして僧侶」という求道 魂の躍動を見つめ、いかに死ぬか

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他人の死をいくらたくさん見つめても、聖人のように死ねるわけではない──。

田中さんご夫婦の経験から、多くを看取っても、信ずる対象があったとしても、結局はすべてが他人の死であり、自分の死や身内の死とはまったく違うという、死をめぐる本質を見せてもらったように思う。必ずしも平穏な死が良いわけではない。愛する者の死、身内の死は、やはりどんな人にとっても特別なものなのだ。

斉藤 大法氏:ある医師との出会い


斉藤氏が医師を目指したのは、中学2年のときに発症した難病がきっかけだった。突然に下血し、それが連日、しかも1日数回繰り返された。診断もつかないまま症状は悪化の一途をたどり、身長180センチに体重40キロ台という極限の状態で、学校に通うのもやっとだった。

そんな斉藤氏だったが、ある医師との出会いが転機となった。幾度となく病院を回る中、およそ10人目の医師にこう言われたのだ。

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「君は、そんなに身体を大事にしなくていい。それよりももっと君のやりたいと思うことをやれば良いんだ」

それは、頭をガツンと叩かれたような衝撃だったという。斉藤氏はそこで初めて、「人生には、身体を大切にするよりももっと大切なことがある」ということに気づいた。

それから間も無く、もうひとつの大きな出来事があった。それは、お坊さんとの出会いだった。病気のことを知った親戚が紹介してくれたのだ。

当時の斉藤氏はどちらかといえば科学少年であり、仏教など古臭く迷信だと考えていた。しかし実際に僧侶の話を聞き、自分のことを心から親身に思ってくれていると感じた。

この2つの出会いにより、その後の病状は不思議と徐々に良くなっていき、進学のための勉強にも取り組めるようになったという。

医師、そして僧侶へ「医局は辞めても良い」


この病気の経験を経て斉藤氏は、医師を志すようになった。そして、その過程で見たある学校の理念に衝撃を受ける。

「医師たらんと欲すれば、まず人として成らねばなりません」

それは、江戸時代の医学塾にはじまる順天堂大学、医学塾創立時の理念だった。

この考えをもって、「あのとき出会った医師のような、精神性を伴った医師になる」と心に誓った。

しかし、いざ医師の立場になってみると、いわゆる地位、名誉、お金は手に入れても、望んでいたような優れた精神性が自然と手に入るわけではなかった。
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文=長谷川 寧々 編集=石井 節子

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