ビジネス

2020.07.15

戦後初、日本一新しい日本酒の「酒造会社」誕生秘話

日本酒の酒造会社「上川大雪酒造」


特に資金調達には苦労したが担保価値など無い私が多額の出資を得られたのは、新規ビジネスが「酒蔵」という日本人の琴線に触れる伝統産業であったからこそと思っている。上川大雪酒造という社名は商号変更であるから創業年数を遡って謳う事も出来るが私はあえて初代であることに拘っている。ダーウィンの「種の起源」にある「進化論」のように時代の変化に柔軟に対応しながら地域振興の酒蔵を育てていこうと思う。



創業時にプロジェクトを実施したMakuakeでも日本全国に居ながらも北海道の小さなプロジェクトを応援してくれる方が多いことに驚いた。約1500名の支援者の約半数が北海道以外からだった。地域振興は全国に知ってもらう事で意味を成すと考えている。

地方創生蔵の意味


酒蔵を立ちあげることは元々証券マンだった私のキャリアからはかけ離れていて、参画するメンバーは当時偶然ご縁のあった方ばかりだった。

製造責任者である杜氏、会社のロゴマークやラベルデザインを考えるデザイナー、酒蔵を設計する建築士、出資者や金融機関、対外的な信用を獲得できる顧問ともご縁でつながった。現在は立ち上げに関わった全員が更なる夢に向かって一致団結している。

酒蔵をつくって私が一番驚いたのは我々以上に地域が盛り上がっていたことだ。「我がまちに酒蔵が出来た」効果は想像を遥かに超えていた。お酒を飲まない人までもが自分の事のように喜び休日を使ってまで酒蔵を手伝ってくれた。

酒蔵でなければこうはならなかったと思う。この事実は私の心を動かし、上川大雪酒造としての会社のベクトルを決定づけた。地域振興のために存在し本当に地域から愛されながら、小さくてもその地域で単独で二本足で立てる潰れない会社をつくることにした。



地元限定販売をメインに打ち出し「欲しければ買いに来い」と掲げた。地元の新聞に「地方創生蔵」と題された記事が出た頃、上川大雪酒造のある人口約3500人の山あいのまち上川町の1軒のコンビニで月に約1000本売れる地酒になった。

現在は酒蔵のあるまち上川町として地域のイベントも増え、上川大雪酒造は自治体や観光協会・商工会とも連携した「地域連合体」となっている。

食の宝庫・十勝の酒蔵復活を願い……


メディアに多く取り上げて頂いたこともあり上川大雪酒造には全国から自治体や企業、生産者など年間100件以上の視察が来るようになった。目的の多くは取引希望か我がまちにも酒蔵をつくりたいというもので、新しい酒蔵を見学に来る方々、酒蔵創設のノウハウを盗もうと必死に質問してくる方々、まちおこしを一緒に手伝って欲しいと相談される方々もいた。酒蔵をつくりたい目的は、観光客が多く儲かりそうだからというものと、伝統産業による地域振興を願うものに分れ、私はもちろん後者にしか興味が無かった。

その中の一つに帯広畜産大学で酒蔵をつくってはどうかという話があり、2番目の酒蔵候補地として北海道十勝の国立帯広畜産大学を選んだ。

第一の理由は北海道にある3つの国立大学が2022年4月に経営統合することが決まり、1次産業の農業に関わる帯広畜産大学、2次産業を研究する北見工業大学、3次産業であるマーケティングを学ぶ小樽商科大学と連携することで北海道の6次産業化を推進する取り組みが出来ると思ったからである。小樽商科大学OBである私は、3大学の専門分野を活かした酒蔵を大学内につくり、統合の象徴としたいと思っている。


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編集=新國翔大

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