著者のジェイク・ナップはグーグルで、ジョン・ゼラツキーはユーチューブで、人の目を「1分、1秒」でも多く引きつける仕組みを研究し続けてきた「依存のプロ」だ。
そんな人間心理のメカニズムを知り尽くした2人だからこそ、同書の時間術はユニークかつ、きわめて本質を突いている。「人間の『意志力』などほとんど役に立たない」という、徹底して冷めた現実的な視点からすべてが組み立てられているのだ。
さらに、「いくら生産性を上げても、ひたすら他人の期待に応えているだけ」で、自分のためになっているわけではないという。では、このテクノロジー全盛のスピードの速すぎる世界で、人生を本当に豊かにするには、いったい時間をどう扱うべきか? 「ダイヤモンド・オンライン」からの転載で、同書の一部を数回にわたって公開する。
気がつくとスマホを見ている
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あれは2012年のことだ。リビングルームで息子が木製の電車セットで遊んでいた。ルーク(当時8歳)はせっせと線路をつなげ、フリン(赤ん坊)は機関車によだれを垂らしていた。そのときルークがふと顔を上げて、言ったのだ。「パパ、どうしてスマホを見てるの?」
ルークは僕をとがめるつもりはなく、ただ不思議に思ったのだろう。でも僕はうまく答えられなかった。もちろん、その瞬間にメールをチェックする理由が何かあったはずだが、大した理由じゃない。その日は子どもたちとすごす時間を朝から楽しみにしていて、やっとその時間が来たというのに、僕はうわのそらだった。
そのとき、頭のなかで何かがカチリとはまった。僕はこの一瞬だけ気が散っていたんじゃない。問題はそれよりずっと根深いのだ。
来る日も来る日も、僕はただ目の前のものに反応していた。予定表に、受信したメールに、際限なく更新されるネット上のコンテンツに。家族との時間がどんどんこぼれ落ちていったが、何のために? あともう1つメッセージに返信し、あともう1つやることリストから項目を消すために?
これに気づいた僕は、心底がっかりした。なぜって、僕はそれまでバランスのとれた生活をめざして努力してきたつもりだったからだ。
iPhoneから「気を散らすもの」を削除する
このころ、僕は生産性と効率性の達人を自負していた。勤務時間をそこそこに抑え、毎晩夕食に間に合う時間に帰宅した。理想的なワークライフバランスだと思っていた。
でももしそうなら、なぜ8歳の息子にうわのそらだと見抜かれたんだろう? 仕事をコントロールできていたはずなのに、なぜいつも気ぜわしく、気が散っていたのか? 朝200通あった未処理メールを深夜までにゼロにしたからといって、充実した1日だったと本当にいえるのか?
そして僕は、はたと気づいた。生産性を高めたからといって、いちばん大事な仕事をしていることにはならない。たんに他人の優先事項にすばやく対応しているだけなのだと。
僕はネットをいつも気にしていたせいで、子どもに正面から向き合っていなかった。本を書くという「いつかやりたい」大きな目標も、ずっとあとまわしにしていた。実際、1ページもタイプしないまま数年がすぎていた。誰かのメールや誰かの更新情報、誰かのランチ画像の海で立ち泳ぎするので精一杯だった。