この15年、各新聞社の中堅どころから繰り返し投げかけられてきた質問だ。マイクロソフトのMSNと毎日新聞の協業「MSN毎日インタラクティブ」を構築しながらその後、「ニュースの現場」から身を引いて久しい私に対し、いまだにこの疑問がぶつけ続けられる状況は、新聞危機の根深さを物語っている。
15年前、この質問については一様にこう答えた。「新聞社同士が組んででも、ヤフーへの配信を止めるべき」と。ただし2020年の現在も同じ質問を投げかけられると、今では頭を抱えるしかない。なぜなら同社への配信をいまさらストップさせても手遅れかもしれず、新聞社が配信を停止したとしても、その代行者たりえる新メディアさえ生まれているからだ。
ここでヤフーに代表されるかつての「ポータル・サイト」と新聞各社との短い歴史を振り返りたい。MSNの前身マイクロソフト・ネットワークが誕生したのは「Windows 95」と同じ1995年、「Yahoo! Japan」の誕生は1996年だった。
私がアメリカCNNを辞し、MSNのニュース・プロデューサーとして帰国したのは2001年のこと。この時点でYahooに記事を配信していた新聞社は、毎日新聞。追随したのは産経新聞だった。読売新聞は当時、MSNに対し初めて外部へ記事配信をスタートさせた。
この後、日刊スポーツの配信を初めて受けたのもMSNだった。朝日新聞は外部への配信を拒んでいた。つまり、ヤフーニュースはトラフィック(*通信回線上で一定時間内に転送されるデータ量)としては他のサイトから頭ひとつ抜け出た存在であり、通信社からの配信も受けてはいたものの、世にあふれるコンテンツを現在ほど網羅していたわけではなかった。
ニフティ、goo、インフォシーク、エキサイト、ライコスなどは一様に競う状況にあり、ヤフーを含め各社の「ニュース・プロデューサー」同士で「今後のポータル・サイトはどうあるべきか」を議論した時期でもあった。
ヤフー台頭の舞台裏
「ヤフー一強」を決定付けたのは98年にスタートした「トピックス」の存在だ。
例えば「新型コロナ感染者220人」とひとつのトピックスを取り上げる際、本テーマについてのランディングページ(LP)を作成、そこに複数のコンテンツ・プロバイダー(CP)からの同テーマの記事を列挙する。
そしてこのLPにヤフートップページから「新型コロナ感染者220人」の見出しで動線を作る。トップページから流入したユーザーは、LPで複数の記事をクリックし読み込むことによりPV/UUがアップ。ヤフー全体のトラフィックを押し上げた。こうして一般ユーザーは数多の記事を目を通し「ヤフーニュースを閲覧している」と刷り込まれ、これは現在に至るまで変わらない。
閲覧するページにCPのロゴが表示されているものの、ほとんどのユーザーはそれを認識さえしていない。日本の新聞各社のデジタル施策を振り返る意味で、まさに致命的な点だ。