一方、アイリーンが売春婦であると一目で見抜きセルビーに忠告するのは、家出してきた彼女を一時的に同居させている家の主婦ドナだが、セルビーが同性愛者と知っていて「帰って男の子の恋人と付き合いなさい」などと無神経な発言をする。
セルビーが最終的にアイリーンに付いていったのは、相手を気遣うふうでいてナチュラルに差別発言をするドナや支配的な父親など、世間一般の圧力への反発心に後押しされたからでもあろう。
彼女はアイリーンに一目惚れしていたが、世間知らずの子供らしい無邪気さと残酷さが徐々に顔を出し、それがやがてアイリーンを追い詰めていく。
セルビーと逃げる当座の金を稼ぐために拾った客が変態的な暴力男だとわかり、殺されるかもしれない危機感から相手を撃った時、アイリーンはこの仕事から金輪際手を引こうと思ったはずだ。
しかし「ちゃんと私の面倒を見て」などとわがままを言い始めるセルビーをなだめ、「仕事は?」と突っ込まれて「もう客は取らない。普通に働く。獣医とか……、ビジネスウーマンとか?」などと言いだすあたりで、その誇大妄想ぶりに失笑したくなる。
学位も資格も経験もないなら普通はスーパーのレジやコンビニ店員などの就活に行きそうなところを、いきなり弁護士事務所に乗りこみ、案の定鼻であしらわれて盛大に切れるさまは、気の毒ではあるが滑稽だ。
アイリーンが現実的なレベルで思考できないのは、世間の狭さからくる想像力のなさに加えて、セルビーにとって素敵な女でいたいという痛々しいまでの背伸びがあるからだろう。
ついに殺人をセルビーに告白し、「あんたに愛されずに死にたくなかった」と泣きながら吐露するほど純なところを見せたかと思えば、ちょっと調子が良くなると、聞いていて恥ずかしくなるような大口を叩き、セルビーにいいところを見せようと他人に喧嘩をしかけるアイリーン。
あまりにも短絡的な思考と、荒々しく単純な情緒。長い間に醸成された男への不信と憎しみ、貧しさと生活の疲れが、彼女の内面を荒廃させたことは確かだ。もともとあった素朴さ、純粋さはそんな中で容易に、野蛮さ、愚かさへと変化する。
長年アイリーンを気にかけているトムのような友人もいるのに、彼女は地道な道を選ばなかった。途中から殺して金を奪うことが目的化してしまった売春で、意外にも善良な男に出会っても、アイリーンは破滅的な道を突き進む方に自分を委ねた。
夢に見た愛と承認がいかに儚いものか判明するラストは残酷だが、「人生はクソだ」と思い知らされて生きてきた彼女は、それすらどこかで想定していたのかもしれない。
連載:シネマの女は最後に微笑む
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