冒頭に、アイリーンの子供時代の短い回想がある。映画スターに憧れ「美しくリッチに」なることを夢見ていた幼少期。親のネグレクトとDV、近しい大人からのレイプと妊娠、周囲に「ビッチ」扱いされた思春期を経て、10代後半から男に体を売るようになっていく。
そこに重ねられる「誰かが自分の価値を認めてくれると信じていた」というモノローグは、愛と承認に対する飢餓がアイリーンの行動の起点にあることを示している。
だが行き着いたところは、帰る家のないボロボロの身体と全財産の5ドルと一丁の銃。自殺する前にビールが飲みたいと立ち寄ったバーで、アイリーンは家出中の少女セルビーと運命的な出会いをする。
セルビーこそが最初で最後の希望
びしょ濡れの野良犬のような風体の、態度もガタイも大きいアイリーンに対して、相手への好奇心を隠さない童顔で小柄なセルビー。父親と喧嘩して親の知人の家に身を寄せているレズビアンの彼女もまた、承認と愛情に飢えた人であり、二人が意気投合するのに時間はかからない。
この出会いの場面から見え隠れするアイリーンの、自分を少しでも大きく見せたい粗野な振る舞いやしゃべり方からは、教養やセンスを身につけるような環境、機会が一切奪われた半生が窺える。
なかでも印象的なのは、クイッと顎を振って長い髪を払う、ワイルドに格好をつけた仕草だ。ドラマ中に何度かありラストシーンでも見られるそれは、最底辺を自覚している女のなけなしのプライドの誇示であり、世間への威嚇でもある。この人はこうやって必死に「武装」して生きてきたのだということが、この仕草一つに現れている。
だが、ベッドのなかでセルビーに優しく触れられ「すごくきれいね」と言われた後の、上を向いて固まったまま大きく見開いた瞳には、子供の頃から欲してきたものをやっと与えられたという、驚きに近い喜びとせつなさが満ちている。
この時アイリーンは、セルビーこそが自分の最初で最後の希望だと信じたのだ。出会ってすぐの相手をそう信じたいほど、アイリーンの絶望は極まっていたと見るべきだろう。
ローラースケート場で、慣れないセルビーを優しくリードしてやる笑顔には、雛鳥をかばう母鳥のような母性すら感じられ胸を突かれる。「男も女も嫌い。あんたは好き」という言葉には、見栄を捨てたアイリーンの正直さが現れている。