人々はテレビを必要としないだろう

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朝日新聞の創刊以来の新聞記事を検索できる「聞蔵Ⅱ」というサービスがあるのをご存知だろうか。新聞の「聞」という字を使った名前で「きくぞう」と読むのだが、最初にその名前を聞いたとき、「なんで聞くのか?」と違和感を覚えたものだ。検索結果は文字や紙面イメージで、記事を読み上げてくれるわけでもないのに……。

新聞という言葉が主に新聞紙を指し、ニュースを活字で読むことに慣れているわれわれは、中国語で「新聞」という言葉がニュースを意味すると聞いて一瞬考え込む。しかし確かに、「新しく聞く」とはニュースそのものだ。とすると、もともとニュースはどのように伝えられてきたのか?

ニュースは読むのではなく聞くもの


近代のマスメディアとしての新聞が成立したのは19世紀末で、それまでの新聞は主に知識階級や貴族が郵便などで不定期に受け取るオピニオン主体のニュースレターで、それ以外の一般庶民はほとんど字も読めず、日々のニュースは口伝えによる噂で聞いたものだった。

そう考えると、人類の文明数千年の歴史の中で、ニュースが日々読むものとして流通するようになったのは、ごく最近の100年程度でしかないことに気づく。何かの事件や異変が起きたとき、人はまず声をあげ、それから字や絵にして詳細に遠くにまで伝えようとする。

人間もまず生まれてすぐ鳴き声をあげ、声や音を聞いて自分の環境を理解するようになり、自然に話し言葉を覚えるが、文字を読み書きするのはずっと後で、こちらは学習しないと使えない(おまけに文字の読み書きを覚えたのはたった数千年で、人類の歴史の千分の1)。

そもそも動物にとっては、音や鳴き声こそがニュースであり、それが自分の存在を示し、仲間と情報を一瞬にして共有する手段だった。耳は目のように眠っている間も自然に閉じることはできず、あたりの異変を伝える騒音で目を覚まさなければ生死に関わる。音というニュースを正しく理解することが生存の基本にあった。

そのためか、音は情動や感情と切り離すことが難しい。例えば書かれた台本を読む方法は何十通りもあり、それを声で表現する人の性や性格や精神状態までをも暴露してしまう。目で見た情報は相手を瞬時に捉え選別するのに有効だが、耳で聞いた情報はそれから先の相手の内面の理解にまで踏み込むより深いものだ。顔を知っているだけの相手でも、話しを聞いて初めてどういう人かわかるという経験は誰もがするだろう。

デジタルのコンテンツは、最初はきれいなビジュアルばかりに注目して音は付け足しだったが、音が良いコンテンツはビジュアルが実際よりよく見えるという実験結果もある。音は深層心理に呼びかけるよりリアルなメディアなのだろう。


ナチスのラジオ受信機「国民ラジオ」のプロパガンダポスター(360b / Shutterstock.com)

テレビが普及する前にナチスは安価な「国民ラジオ」を普及させてヒトラーの演説を日々全国民に聞かせようとしたが、声によるプロパガンダは人々を熱狂させるのに効果があったという。一方のアメリカではルーズベルト大統領がラジオで炉辺談話を放送していたが、声を使ったマスメディアは国民を感情的にまとめるために役立った。

文=服部 桂

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