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#供述弱者を知る

Photo by Chris Fuller on Unsplash

2016年12月20日、私は角雄記記者(37)と滋賀県彦根市にある西山美香さん(40)の実家を訪ね、両親に会った。滋賀県の病院で起きた呼吸器外しの冤罪事件の取材のためだった。彦根市内を走る中山道沿いの古い住宅街にある家は、2階建ての築年数を重ねた一戸建て住宅で、更地の駐車場と農機具小屋があり、家の裏の畑では父輝男さん(78)が家族で食べるために野菜を育てていた。

前回の記事:冤罪報道の限界。脱・当局依存の手がかりは「主観」報道だった

呼び鈴を押すと、玄関先に輝男さんが出迎えてくれた。深く刻まれた顔のしわが目に焼き付いた。娘を救い出すために戦い続けてきた12年の苦悩の痕跡を、その顔のしわが物語っているようだった。

「よく来てくれました。どうぞ上がってください」

招かれるままに、奥の居間に通されると、そこに母親の令子さん(69)が車いすに座り、深々と頭を下げていた。娘が冤罪に巻き込まれてからの苦労が重なり、逮捕から5年後の2009年に脳梗塞を患った。後遺症で右半身が思うように動かせない不自由な体だった。

「いち早く帰って(脳梗塞で倒れた)お母さんのうごかない右足になってあげたい」。手紙の抜粋メモにあった、西山さんの言葉を思い出した。

車いすになっても、月2回は刑務所に面会へ


両親は毎月、娘を励ますために、滋賀県彦根市から和歌山市の女子刑務所まで面会に出かけていた。令子さんが車いすになっても、毎月2回以上の訪問を欠かすことはなかった。娘が手紙で頼んでくる何冊もの本や、日用品をその都度差し入れたり、送ったりしていた。かさんでくる訴訟費用のために、生活を切り詰め、面会も特急列車は使わず、普通列車で往復7時間以上かけて通い続けた。

居間に通された私たち2人に、輝男さんが事件のことを語り始めた。部屋に入った当初は3人掛けのソファに2人で座っていたが、輝男さんが正座していたため、私たちもソファの前に正座して聞いた。

「私が中学しか出ておらず、何にもわからんもんやから、警察にいいようにされてしまって」

悔しそうに声を絞り出した。

「娘は、まだ社会に出たばかりで、何もわからんかったと思います。そんな娘をいいようにしゃべらせて。何もしてない娘に、殺人なんていう恐ろしい罪を着せて。ほんまに、こんなことがあって良いんですか」

文=秦融

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