なぜ娘は殺人犯に? 「警察は市民の味方」と信じた両親の告白|#供述弱者を知る

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父親としての悲痛な訴えだった。輝男さんの傍らには、令子さんが車いすに座り、時折涙を拭いながら、夫の説明に言葉を添えた。

「私はずっと、警察は市民の味方、だと思っていたんです。家宅捜索のときには、5、6人の刑事たちが来て『私たちが必ず助けますから』と言われた言葉を信じて。それで何でも持っていってもらって。親子そろって警察のいいようにされて」

この日以来、私と角記者、新たに取材班に加わった成田嵩憲記者(32)、高田みのり記者(27)が交互に両親を訪ねて聞き取りを重ね、事件が起きたときから、西山さんが逮捕されるまでに何が起きたかを、順を追って聞かせてもらった。

患者死亡の当日、帰って泣いていた娘。そして警察署通いが始まった


最初は、西山さんが逮捕される前年の2003年5月22日、呼吸器が外れて患者が死亡した日のことだった。

輝男さんは、夜のニュースで娘の勤務先、湖東記念病院で患者が死亡したことを知り、美香さんに「どういうことや?」と聞いた。「帰ってきた娘はショックで泣いていた」という。

輝男さん「患者さんが亡くなったことに責任を感じているように見えたので『おまえは看護助手だから』と言うたんです。直接の責任は医者や看護師や、という意味で」

令子さん「私も『病院で重い病気の患者さんが亡くなるのは、当たり前やん』と慰めました」

その後、捜査が難航し、西山さんも勤務先を別の病院に変えた。しばらくは、何事もなく時が過ぎていったが、1年後の2004年5月、再び警察から西山さんに電話が掛かってきた。取り調べの再開だった。

西山さんは、勤め先の病院から帰宅途中に、捜査本部のある愛知川(えちがわ)署に寄ってくることが多くなった。業務上過失致死の疑いをかけられ、厳しい取り調べを受けていた同僚のS看護師のことを「かわいそうだ」と輝男さんに話した。当時、西山さんは取調官のA刑事に「なめたらあかんぞ」と脅され、鳴っていなかったアラームを「鳴った」と言わされた。急に優しくなったA刑事に会うため、西山さんは自ら愛知川署に出向くこともあった。しかし、自分が「鳴った」と言ったことで、同僚の看護師が窮地に陥ったことを知り、苦悩していた時期だ。

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患者が亡くなってから1年後、西山さんの取り調べは、病院での仕事帰りに再開された (Shutterstock)

逮捕される少し前のことを輝男さんと令子さんは振り返った。

輝男さん「家で娘がSさん(同僚看護師)とメールのやりとりをしながら、娘が『刑事に厳しく調べられてかわいそう』『Sさんは母子家庭だから』と泣いていた。自分に責任を感じているような雰囲気で話していたから、人のことに干渉しすぎちゃうか、と話した」

令子さん「その頃は、警察は市民の味方だと思っていたので、刑事に相談もしていたんです。まだ、逮捕される前、刑事に『弁護士を付けようか』と相談したら、その刑事は『付けなくても俺たちが守ってやる』と言ったんです。警察を疑うことはありませんでした」
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文=秦融

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