「見たことはないし、できるわけもない」、そう答える読者は少なくないだろう。しかしこれは、ある企業によって実際に行われている取り組みだ。
北海道札幌市に本社を置くソーシャルベンチャー・3eee(スリー)。2010年の創業以来、「自立支援」に関わる13業態もの介護・障がい福祉事業を世に生み出してきた。
2020年7月現在、全国に172事業所を構え、躍進を続ける同社。その根底には、多ブランド・フランチャイズ展開といったビジネススキーム以前に、「社会的不利を世の中から撲滅する」という代表取締役・田中紀雄の決意がある。
田中は、この会社を起業するまで福祉とは無縁の人間だった。しかし、現在では、時に強い言葉を用いながら、仲間を、そして業界を牽引する役目を買って出ている。
事の発端は一体何だったのか。まずは、これまでの彼の足取りから紐解いてみたい。
介護の現場を見て、愕然。要介護者への「尊厳とは」
大学卒業後、サービス系企業に従事していた田中。営業や新規事業の立ち上げを経験し、30代で専務取締役まで上り詰めた。しかし、いざ転職を考えた時、その華々しい経歴は突如不利に働く。見合ったポジションの求人が北海道内には存在しなかったのだ。
起業するしか、道はない。
そう決断した時、脳裏によぎったのは「何をやるかより、誰とやるか」。既存事業を拡大路線へと導く能力が自分にはある。だから、アイデアに溢れた「ゼロイチ型」と手を組めば、きっといい仕事がつくり出せるはずだ──
しかし、パートナーより先に探し当てたのは「何をやるか」。きっかけは、偶然目にした1枚のPL(損益計算書)だった。
「介護といえば、3K(きつい・汚い・危険)仕事で、事業としても利益率が低い。そんなイメージを抱いていたのですが、とある介護事業者のPLを見て驚きました。考えていたよりもずっと、採算が取れていたんです」
事業としての可能性を感じた田中は、全国の介護施設や事業所を見て回ることにした。そこで、信じがたい現実を目の当たりにすることとなる。
「とにかく、スタッフの一挙一動に衝撃を受けましたね。来訪者に対して何の挨拶もない。高齢者をただテレビの前に座らせているだけ。飲みものをこぼす、吐くなどした場合のみ裏から飛んできて、何も言わずにふき取って立ち去る……それまで関わってきたサービス業とはまるで正反対のことがまかり通っていたんです。
『これなら自分がやったほうがいい』、小さな怒りを覚え、心が前に進んだことを覚えています」
利益よりも、“リハビリ難民”に救いの手を
業種を決め、ヒューマンリンク(旧社名)を起業した後も具体的な事業内容が定まらず、調査を続けていた田中。本来の生活を取り戻すための機能訓練型デイサービスと出合ったことで、道筋をつけた。
その現場は、これまで見た施設とは違い、活気と明るさに満ち溢れていた。そして同様のサービスが、当時の北海道にまだ存在していなかったことにも背中を押された。
2011年2月、リハビリ特化型デイサービス「カラダラボ」1号店をオープン。カタカナ名やカラフルなど、それまでの介護施設とは一線を画したVI(ビジュアルアイデンティティ)にしたため、受け入れられるかどうかは未知数であった。
「しかし、ふたを開けてみれば初月度の契約者数は、好スタートを切ることになりました。『利益よりも、一人ひとりの自立支援に目を向けたい』という私たちの考えが、ニーズとうまくマッチしたんだと思います」
国から施設に支払われる介護報酬は、受け入れる利用者の要介護度によって変わる。重度であればあるほど、報酬額が高くなる仕組みだ。ゆえに、軽度の方をターゲットとした事業者が当時は圧倒的に少なく、多くのリハビリ難民を生み出していた。
田中はこの“リハビリ難民”に手を差し伸べることが、社会にとって必要な事業だと考えたのだ。
1号店オープンから2カ月後には、フランチャイズ展開を開始。「同じ志を持つ仲間を募り、1社ではできないことを成し遂げる」という確固たるイメージのもと、徐々にネットワークを拡大させていく。
一般的に収支が見えづらい人口2万人規模の街への出店も加盟店側の強い思いがあれば認めた。
「社会的弱者が人として人らしく暮らせる社会」を貪欲に目指したのだ。
彼らは「生活の主体者」であるべき。そうした思いが行動へと突き動かす
2019年8月に迎えた創業10年目。
田中は大規模なリブランディングを断行した。知名度が高まりつつあった社名を3eeeと変え、企業理念を一新。加えて、以前より示していた地域連携プラットフォーム化計画を「まちつくミライ®」と銘打ち、戦略として掲げることにしたのだ。
「まちつくミライ®」とは、事業者のみならず、地域が一体となって、高齢者・障がい者の在宅生活を支える地域の大規模多機能モデル。不足している社会資源を地域に作り出し、インフラとして根付かせるのが狙いなのだ。
田中は、高齢者や障がい者が“人としての尊厳を守られていない”実態を、この10年の間に嫌と言うほど見てきた。
そこで出た答えが、彼らは「生活の主体者」であるべき、ということ。「障がいがあるから」「身体が不自由だから」、そう言って可能性を潰すのは、社会。なぜ、意志の通りに行動させてくれないのか。「おかしい」、田中の思いは事業を大きくするにつれ、より大きくなっていった。
そんな自立支援に対する「思い」が「気づき」につながり、事業やサービスとして「実行」させ、「検証」してさらにブラッシュアップさせていく。
こうした繰り返しで、13もの業態を創り出した3eee。冒頭で紹介したボランティア活動の発想もここから生まれた。見よう見まねでやっていたら、強い事業や業態、戦略は生まれなかっただろう、と田中は自負する。
「この会社を起業してから、仕事に対する“後ろめたさ”が一切なくなったんですよね。
自分の気持ちをごまかしたり、変に言い聞かせることなく、常に納得感をもって業務に取り組めている。当然、辛い局面に立たされることもしばしばあります。それでも『この先にいる誰かの一助になれている』と思うと、至極前向きになれる。心に充足感を得ることができるんです」
経営層は最後の砦。ボトムから会社を支える、そんな仲間に出会いたい
3eeeの企業理念である「遊び心と生きがいの調和」には、「介護・障がい福祉業界のイメージを変えたい」「若者たちが憧れる仕事にしていきたい」という田中の希望が込められている。
「私の考えは、ワークライフバランスではなく“ワークアズライフ”。人生の中に仕事があると捉えたら、生きがいだけじゃなくて、遊び心も非常に大事な要素なんじゃないかと。実際、悲壮感が漂うような閉ざされた仕事では決してないんです」
田中はこれまでも、事業やサービス、組織づくりにおいて遊び心をうまく取り入れてきた。
創業まもない時期、社員たちと連れ立って行ったカラオケで、着想を得た田中が事業所に取り入れたのが「音楽に合わせてエクササイズする」プログラム。よりよい活気や雰囲気を現場にもたらし、同社の人気に火をつける要因になった。
組織においては、「時間」と「場所」を自由に選択できるワークスタイル・ABW(Activity Based Working)を導入。“遊び心あるオフィスづくり”を実現するべく、札幌本社は、オフィス×アウトドアで空間づくりを行うスノーピークビジネスソリューションズと、東京支社はインテリア雑貨メーカー・ダルトンと提携した。
企業理念の体現に向けた、あくなき挑戦。
躍進を続ける3eeeには、今どんな課題があるのだろうか。
「私と同じ目線でボトムから社員たちを支える、そんな経営層が不足していること。それが最大の悩みですね。
当社はトップが上に立つツリー型ではなく、複数のエースが社員をひっぱり、最後尾に代表である私がいる組織。エースには『自走しながら、リードする力』が求められます。
また、企業に必要とされる『変化対応力』については、かねてより組織として前面に謳っていました。現状に疑問を持ち、変革へとつなげていく。そんなフロントランナーを渇望しています」
何をやるかが明確になった今、大切なのは「誰とやるか」。田中が前職に就いていた専務取締役の席は、創業以来、ずっと空いたままだ。
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