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感情表現は世界共通ではない──
次のようなシナリオについて想像してみてほしい。
あなたは長く狭い廊下を抜け、奥の暗い部屋へと導かれる。あなたは椅子に座り、フランツ・カフカの短篇小説の朗読の録音を聴く。次に、いましがた耳にした内容についての記憶力テストを受ける。テストが終わると、あなたは部屋を出て再び廊下へと戻る。
しかしカフカの小説を聴いている間に、スタッフたちはせわしなく作業を続けていた。その廊下は実のところ、仮のパーティションで仕切られた空間でしかなかった。いまや廊下のパーティションは取り払われ、がらんとした広い空間に変わっている。その空間は、明るい緑色の壁で囲まれている。天井から電球がひとつだけ吊り下がり、鮮やかな赤い椅子を照らしている。椅子に座るのは、重苦しい表情を浮かべたあなたの親友だ。つまりあなたは、数分前と同じ狭い廊下に戻ると思いながら扉を開ける。なんとびっくり、さっきまで廊下だった場所にだだっ広い空間がある! そして、ホラー映画の登場人物のごとく親友があなたを見つめている。
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あなたは驚くだろうか? もちろん驚くに決まっている。では、そのときのあなたはどんな表情を浮かべるだろう? 今日の西洋社会に生きる私たちの文化の中では、「驚きの表情」の典型例がはっきり確立されている。テレビドラマ『フレンズ』のエピソードの中に完璧な例が出てくる。ロスのルームメイトのジョーイがモニカのアパートメントに駆け込んでくると、親友のふたりが大喧嘩していることを知る。そのときのジョーイの顔には、典型的な「驚きの表情」が広がっている──眉を上げる+眼を見開く+ぽかんと口を開く。では、驚いたときのあなたもジョーイと同じ表情を作るだろうか? いや、そうではない。