フェアなのはAI裁判官? 「被告人との対面」はバイアスを招くか

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数年前、テキサスで起きたある事件が大きな話題になった。パトリック・デイル・ウォーカーという名の若い男性が、元交際相手の女性の頭に銃を突きつけた事件だ。彼は引き金を引いたものの、たまたま銃が詰まって弾は発射されなかった。訴訟を担当した裁判官は、保釈金をいったん100万ドルに設定した。しかしウォーカーが拘置所で4日間過ごしたあと、保釈金は2万5000ドルに引き下げられた。心を落ち着かせるために充分な期間が過ぎたと裁判官は考えた。

「ウォーカーには前科がなく、交通違反さえ犯したことがありませんでした」と裁判官はのちに証言した。ウォーカーは礼儀正しかった。「彼は控えめで温厚な若者でした。私には、とても賢い青年に見えました。成績も優秀で、卒業生総代に選ばれるほどの人物だった。大学もしっかり卒業していた。事件の被害者は、彼にとって人生ではじめての交際相手のようでした」。くわえて裁判官にとってなにより重要なことに、ウォーカーは深い反省の念を示していた。

ウォーカーは透明でわかりやすい存在だと裁判官はとらえた。しかし、「反省の念を示す」とはいったい何を意味するのか? 頭をがくりと下げ、伏し目がちにして悲しい表情を作ったのだろうか? 1000のテレビ番組で人々が反省の念を示してきた姿を真似したのだろうか? 誰かが頭をがくりと下げ、伏し目がちにして悲しそうな顔を作る姿を見ると、その人物の心のなかで大きな変化が起きたと私たちが考えてしまうのはなぜだろう? 人生は『フレンズ』ではない。ウォーカーと対面したことは、裁判官の助けにはならなかった。それどころか悪い影響を与え、単純な事実を見過ごしてしまうことになった──ウォーカーは元交際相手の頭に銃を突きつけて殺そうとしたが、たまたま発射されなかったので未遂に終わった。4カ月後、ウォーカーは元彼女を射殺した。

ムライナサンの研究チームはこう説明する。

実際に対面しないと気づきにくい要素──気分などの心の状態、あるいは被告人の外見といったやけに重視されがちな目立つ特色──は、裁判官の予測を誤った方向に導いてしまうことがある。それらの要素はどれも、個人的な判断のための情報源というより、むしろ予測ミスのための情報源となる。人が気づきにくい要素は、手がかりではなく雑音を作りだすだけだ。

すなわち、コンピューターにはなく裁判官だけが持つ強みは、実際には強みなどではない。

私たちは、ムライナサンの研究から論理的な結論を導きだすべきだろうか? つまり、被告人を裁判官から隠すべきだろうか? たとえば、女性がニカブをまとって法廷に現れたときに取るべき正しい対応は、訴訟を取り下げることではなく、全員がベールを身につけるべきだと判断することかもしれない。さらに、こんな疑問も浮かび上がってくる。ベビーシッターを雇うまえに実際に本人に会う必要があるのか? あるいは、会社で誰かを雇うまえに対面式の面接をするのは正しいことなのか?

それでも裁判官が望まれるわけ


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しかし当然ながら私たちは、個人的な接触を拒むことなどできない。すべての大切なやり取りが匿名化されたら、世界は機能しなくなってしまう。ソロモン裁判官に、私はまさにこの質問を投げかけてみた。彼の答えは実に示唆的だった。 

著者:被告人に対面できなかったらどうなりますか? 何かちがいがありますか?

ソロモン:そちらのほうを好むかという意味ですか?

著者:ええ、そちらのほうを好みますか?
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