PR戦略と行動指針が問われる、「Black Lives Matter」と企業の責任

1968年のメキシコ五輪の表彰台で、国歌が流れる間、金メダリストのトニー・スミスと銅メダリストのジョン・カーロスが人種差別への抵抗を表す「ブラック・パワー・サルート」をおこなったシーンを型取った銅像。銀メダリストのピーター・ノーマンもこの抵抗運動に賛同した(「国立アフリカンアメリカン歴史文化博物館」にて筆者撮影)


奴隷制とともに「白人」「黒人」という人種が造られ、制度化された差別と白人優越主義(white supremacy)が広がった。改めて浮き彫りになっているこうした構造的な人種差別と、肌の色によって黒人が受ける不遇と生命のリスクについては、歴史や制度の課題を正しく学び、理解し、解決策を検討するという長期的な取り組みが求められる。

日本人にとって人種差別問題は、精神的にも物理的にも距離を感じてしまう課題であり、「関係ない」「理解できない」と考える人も多いかもしれない。もしそうであるとしたら、戦争が世の中の事実であることを無視して、「戦争反対」をただ訴えることが無意味であるように、人種に基づいた不平等を知らずして、「肌の色は関係ない。みんな平等」と訴えることは無意味にも思える。

そもそも、Black Lives Matter自体も日本語訳が難しく、一つの見解が出しづらい。Black Lives Matter が最初に使われるきっかけとなったのは、後にBlack Lives Matterの推進団体の共同創始者となる黒人活動家のアリシア・ガーザが、「[B]lack people. I love you. I love us. Our lives matter.(意訳:黒人のみんなのことを、大切に思っています。わたしたちは大切な存在。わたしたちの命だって大事。)」と書いたフェイスブックの投稿に、友人で共同創始者のパトリス・カラーズが#BlackLivesMatterというハッシュタグをつけて返信したのがことの始まりだ。


2013年7月13日付のガーザとカラーズのFacebook投稿。#BLMが誕生した日だ(画像出典元:Elin Jernstrom’s Webpage

「Our lives matter.」という表現にあるように、#BlackLivesMatterは当事者としての黒人が主語であり、彼らの悲痛で悲しい叫びにルーツがある。

「matter」という動詞は日本語に直訳しづらいが、否定形での「It doesn’t matter.」という表現には「どうでもいい」といったニュアンスがある。特に米国社会において、いかに黒人の命が「どうでもいいもの」として存在しているか。その卑劣な現実が#BlackLivesMatterの表現の背後にある。このニュアンスを加味すると、「黒人の命だって大事なんだ!」という悲痛な叫びを反映させた表現が、一つの訳として成立しうるかもしれない。


2016年9月、スミソニアン博物館群の一角に「国立アフリカンアメリカン歴史文化博物館」がオープン。「チェンジ」を呼びかけるオバマ大統領の言葉とならび、ガーザの「Our lives matter.」という言葉も展示されている(筆者撮影)

しかし、Black Lives Matterが正しく訳されることは、本質的には重要ではない。目を向けるべきは、本来国民を護るべき警察や国家が、不正な暴力で黒人の命を奪い、生活を脅かしている現実と、歴史的・構造的な背景から、黒人がその肌の色によってのみ差別され、機会を奪われているという事実だ。

それは世界の市民と企業が行動を起こす十分な理由(Why)であり、たとえ、言葉の定義や目指すべき理想の姿(What)がわからなくても、不正に対して声をあげ、制度を変えるための行動を起こすことはできる。「What」にとらわれすぎず、「Why」を手掛かりに黒人たちの声に耳を傾け、長期的な視野を持って、課題に向き合っていく必要があるだろう。

連載:旅から読み解く「グローバルビジネスの矛盾と闘争」
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文=MAKI NAKATA

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