言葉を語るとき問われるもの

かつて、ある詩人が、「現代は、香りのある言葉に“手垢”がついてしまう時代。詩人にとっては受難の時代である」と嘆いている。

たしかに、その通りであろう。

昔から、日本語には、香りのある言葉、余韻のある言葉、深みのある言葉が数多くあったが、コマーシャリズム全盛の現在、マスメディアに溢れる広告や宣伝では、その言葉が本来持つ香りや余韻や深みを理解することなく、安易なキャッチフレーズとして使ってしまう。そのため、それらの言葉に“手垢”がついてしまい、いざ、詩人が、それを使おうとすると、むしろ陳腐な言葉のように聞こえてしまうのである。

例えば、映画の宣伝文句などでも「永遠の……」「魂の……」「……の邂逅」などの言葉がしばしば使われるが、本来、こうした言葉は、それなりの人生体験を重ねた人間が語るとき、初めて、その香りや余韻や深みが生まれてくる言葉である。

しかし、言葉に“手垢”がつくのは、広告や宣伝だけではない。例えば、最近の政治家が好んで使う「被災者に寄り添って」という言葉。この「寄り添う」という言葉もまた、本来、深い愛情と共感を伴った味わいのある言葉なのだが、被災者への深い共感など持たない政治家が、ただ口先だけでこの言葉を使う姿を見ていると、いつか「寄り添う」という言葉を使うことが憚られるようになってしまう。

また、例えば、2019年のラグビー・ワールドカップにおいて、日本代表チームの歴史的な活躍の結果、多くの人々が口にするようになり、流行語大賞にも選ばれた「One Team」という言葉。

もとより、日本代表チームのベスト8進出という偉業は、この言葉を合言葉として成し遂げられたものであるが、コーチや選手が、この「One Team」という言葉を語るとき、それが我々の心に響き、強い説得力を持つのは、その背後に、我々の想像を超えた彼らの厳しい訓練と練習があったことを、決して忘れるべきではないだろう。

しかし、残念ながら、世の中を見渡すと、そのことを忘れ、この言葉を流行やファッションのように扱い、ただ「One Team」と語れば、自分の預かっている組織や人間集団が強くなると思い込むリーダーがいるのも事実である。

では、このように、大切な言葉に容易に“手垢”がついてしまう時代、我々は、言葉というものに、どう処すれば良いのか。

その基本は、まず、「言葉の重さ」を理解することであろう。

すなわち、言葉には「重さ」があるのである。

それゆえ、「重い言葉」を語るとき、自分に人間としての「重量感」と「精神の力」が無ければ、その言葉は相手に届かず、相手の心に響かない。

それは、あたかも“砲丸投げ”に似ている。

重い砲丸を投げようと思っても、自分にそれなりの体重と体力が無ければ、砲丸を力強く投げることもできず、遠くに投げることもできないのである。
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文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN 5月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

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