例えば、そうした「重い言葉」の典型的なものが、「愛」という言葉であろう。
この言葉は、世の中に溢れているが、実は、極めて重い言葉なのである。
それゆえ、何かの会話において、我々が「大切なものは、愛ですね」といった言葉を語るとき、ほとんどの場合、その言葉の重さに負けてしまい、会話が上滑りになってしまうのである。
これを逆に言えば、我々に人間としての「重み」が無ければ、語る言葉にも「重み」が備わらず、言葉が軽くなってしまうのである。
では、どうすれば、我々の語る言葉に「重み」が備わるのか。
もとより、そこに安易な方法は無いが、そのためには、一つの素朴な修業を続けることである。
言葉を語るとき、それが、単に何かの書物で学んだ言葉なのか、自身の体験を通じて掴んだ言葉なのか。そのことを意識しながら、言葉を語る修業を続けることである。
もし、その修業を永年続けるならば、いつか、自身の語る言葉に重みが備わっていることに気がつくだろう。
すなわち、究極、言葉の重みとは、背負ってきた体験の重みなのである。そして、そのことを教えてくれるのが、胸に突き刺さる、次の言葉であろう。
言葉を語るとき、大切なのは、何を語るかではない。誰が語るかである。
田坂広志◎東京大学卒業。工学博士。米国バテル記念研究所研究員、日本総合研究所取締役を経て、現在、多摩大学大学院名誉教授。世界賢人会議ブダペストクラブ日本代表。全国5800名の経営者やリーダーが集う田坂塾・塾長。著書は、ベストセラーとなった『運気を磨く』など90冊余。tasaka@hiroshitasaka.jp