しかし、GT-Rの性能や走りをべた褒めする同氏は、そのガンダムチックなスタイリングはそれほど高く評価しなかった。
「ポルシェ928とフェラーリ355と戦うような、コーナリング性能がこんなに凄いクルマを作るなら、その外観デザインをもう少し考えるべきだね。日本には折り紙文化もあるし、美しい伝統建築があるのに、なぜGT-Rはこんなにゴツい形になったのか。残念だ」と辛口なコメントを残した。
若い世代の間でも名声を得たGT-R
GT-RのR32の伝説は、時間とともに薄れるのでなく、面白いことに、むしろ拡大していった。
1990年代初頭には国内外のレースで圧勝し、ドイツ・ニュルブルクリンクなどの有名なサーキットでラップレコードをどんどん塗り替えていた。その後、ドライビング・シミュレーター・ゲームの「グランツーリスモ」が生まれた1997年からは、GT-Rの名声がさらに増した。輸出されず、日本人以外ほとんど誰も乗ったことのなかったGT-Rにバーチャルで乗れたからだ。
1998年には、GT-RのR32をゲームの中での車庫に「所有」していなかったゲーマーはいないぐらい有名なクルマだった。もちろん、1995年に登場した次世代のGT-R(R33)と、1999年に出たGT-R(R34)は、R32が築き上げてきた伝説を継続したし、そうした進化版もグランツーリスモに登場した。その数年後、2001年に映画「ワイルド・スピード」第一弾が公開されると、若い世代が日産のレジェンドの凄さを知ることになった。
2014年、映画やゲームでGT-RのR32に興味を持ったアメリカ人に嬉しいニュースが伝わった。25年以上前に作られた外車を輸入しても良いという「25年ルール」、言い換えれば「アンティークカー・インポート規則」ができた。つまり、1989年以降に作られたGT-R R32はそのまま右ハンドルでアメリカに輸入できるということ。現在、平均価格は400万円を超えているそうだ。
また、2007年に登場したGT-R R35は、それまでのGT-Rよりも性能も走りも遥かに超え、国内外のメディアを再び圧倒している。でも、R33からR35の人気があるのは、全てR32があったからと言える。その名声は今後も受け継がれていくに違いない。
国際モータージャーナリスト、ピーターライオンの連載
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