医療従事者はヒーロー Jリーガー長澤和輝が起こした感謝のムーブメント


折しも7都府県に緊急事態宣言が発令された直後で、さらに宣言の全国への拡大が検討されていた時期でもあった。いつ自宅待機が解除されるのかも、いつサッカーがある日常が戻ってくるのかもわからない。自宅で筋力トレーニングを積み重ねながら、新型コロナウイルスを取り巻く状況の推移を見守るしかなかった日々で、社会とかかわることはできないだろうかと長澤は思いを巡らせていた。

だからこそ、知人を介して医療従事者の苦悩を知った直後から、すぐに行動を起こした。何が長澤をそこまで駆り立てていたのか。答えは、長澤が歩んできた、他のJリーガーとは少し軌を異にするキャリアにあった。

ブンデスリーガで学んだ選手の価値


1991年12月に千葉県で生まれた長澤は、八千代高校から専修大学へ進学。2年時から関東大学サッカーリーグ3連覇に貢献し、キャプテンを務めた4年時には横浜F・マリノスにJFA・Jリーグ特別指定選手として加入。ヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)の舞台にも立っている。

卒業後の進路が注目されていたなかで、2013年12月に当時ブンデスリーガ2部を戦っていた1.FCケルンへ2年半契約で加入して、周囲を驚かせた。舞台をドイツへ移した2014年は、ケルンの2部優勝と1部昇格に貢献して契約をさらに2年間延長。直後に左ひざのじん帯を断裂する大けがを負うなかで、価値観が覆される光景を目の当たりにした。

「試合の数日前に、選手たちで車に相乗りして1時間以上も離れたところまで出かけ、サッカースクールを開催して、地元の子どもたちにサッカーを教えたことがありました。試合へ向けてのコンディションづくりなども考えると、プロの選手としてどうなのかという思いもあったのですが、選手たちはみんな笑顔で、子どもたちにサッカーを教えている。『こういった部分もサッカー選手の価値なんだよ』という言葉が彼らからは返ってきて、ものすごく感銘を受けたことがあったんです」

クリスマスにはケルンの選手全員がサンタクロースに扮して地元の小児科病院を訪ね、入院している子どもたちにプレゼントを贈ったこともあった。大喜びしている子どもたちの表情を見ながら、選手たちもまた子どもたちから大切なメッセージを受け取ったという。

「プロサッカー選手として、ピッチの上でいいパフォーマンスを見せることももちろん大切ですけど、それにプラスして、プレーしていないときに何かできるのかということを考えさせられましたね。社会とかかわっていくことも非常に大切で、価値があることだと肌で感じました」

ケルンとの契約を残したまま、2015年12月にはレッズへ移籍。2016シーズンは、J2のジェフ千葉へ期限付きで移籍して武者修行を積み、レッズに復帰した2017シーズンの後半から頭角を現した長澤は、ヴァイッド・ハリルホジッチ元監督に率いられた日本代表にも招集されて、代表戦デビューも果たした。

豊富な運動量と重心の低いドリブルでレッズに欠かせない戦力の1人となった長澤は、28歳で迎えた今シーズンに入り、追い求めてきた「ピッチでプレーしていないときに何ができるのか」という答えのひとつを、頼れるチームメイトたちとの共同作業で見つけ出したことになる。
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文=藤江直人

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