ビジネス

2020.06.26 12:00

直観を信じ、時代を先読む。名経営者バリー・ディラーのビジネス手腕

Forbes JAPAN編集部

バリー・ディラー

よき指導者という意味の「メンター」。自分の信じる道を進みながら、ディズニーやウーバー、ペロトンのCEOをメンターとして育てた男の哲学とは。


世界でも、バリー・ディラーほど優れたメンターはいないだろう。彼のかつての部下たちは、いまや名だたる企業のCEOや幹部として名を連ねる。
 
そのひとり、ウーバーのCEOを務めるダラ・コスロシャヒは言う。

「バリーはサメと同じで、泳ぐのをやめると死んでしまう。だから前進し続けるんだ」
 
バリー・ディラー。世界のトップ経営者たちが慕う彼の人生は、「米国で最も異例のキャリアを歩んだ人間のひとり」と評されるほど変化に富んでいる。それは、彼の会社、時価総額200億ドルの「IAC/インタラクティブコープ」が手がける事業の多様さにも見てとれるだろう。同社からは、チケット販売サービスのチケットマスターや、ティンダーなどのマッチングサービス企業が独立した。現在、彼が会長を務めるオンライン旅行会社のエクスペディアもIACからスピンオフした企業のひとつだ。
 
1942年、サンフランシスコで生まれたディラーは、父親が不動産業を営むビバリーヒルズで育った。ショービジネスへの憧れから大学を中退し、芸能エージェンシーに入社。その後、ABC放送へ移り、順調にキャリアを積むと、74年、映画界に転身。32歳でパラマウント映画の会長兼CEOに就任した。
 
コメディ映画「がんばれ!ベアーズ」は、彼の初期の成功作と言える。誰もがコケると思った同作は、製作費900万ドルから3200万ドルを稼ぐヒットになった。元野球選手が、リトルリーグの弱小チームを強豪チームへ変革するという内容は、まさにディラーのキャリアと重なる。
 
のちの人生においても、彼は、他の人間が目もくれないような会社を数百万ドルで買収し、数十億ドルのビジネスに育ってきた。勝ち目がなさそうに見える道を好んで選ぶ。これが、彼の原点だ。
 
パラマウント時代、ディラーの下で働いていたジェフリー・カッツェンバーグ(現・ドリームワークス共同創業者)は振り返る。「バリーはいつも言っていた。何かを作り上げるためには、信念と情熱で押し進めなければならない」。カッツェンバーグによれば、ハリウッドで発揮されていたディラーの直観力と不屈の精神は、現在の彼のビジネスにも完璧に生かされているという。
 
やがて、「サタデー・ナイト・フィーバー」をはじめ数々の大ヒット作をパラマウントで生み出したディラーは、フォックスに移籍。ここでもアニメ「ザ・シンプソンズ」などのヒットを飛ばし、フォックス放送を第4の全米ネット局として急成長させた。こうして、ハリウッドでの地位を確実に築き上げていったディラーだが、あるジレンマを抱える。「どんどん好奇心が薄れていった。それは、私にとって致命的だった」。
 
1992年、フォックスを辞職。バリー・ディラー、当時50歳。一からやり直すことを決意し、ノートパソコンを片手に、未来を模索する放浪の旅に出た。
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文=アントワーヌ・ガラ 写真=ジャメル・トッピン 翻訳=町田敦夫 編集=山田恭子

この記事は 「Forbes JAPAN 4月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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