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2020.06.27 18:00

「ブラック」という多様性。共生が当たり前の米社会でステレオタイプを疑う

「黒人」という言葉の背景には、多様なルーツがある (Photo by Unsplash)

「黒人」という言葉の背景には、多様なルーツがある (Photo by Unsplash)

私が人生の半分ほど暮らして理解したアメリカは、最近流行りの「チョップドサラダ」のようなものだ。以前アメリカ社会は「人種のサラダボウル」と表現されていたが、具材がそれぞれ「個」として存在するのではなく、一緒に切られて混ぜられて共存するしかないのがアメリカだ。前回書いた人口調査から見えるアメリカの人種事情のように、すでに多様性や多文化共生はアメリカ人のDNAなのだ。

今回は個人的な見解だが、私のチョップドサラダファミリーを通して、普通の黒人の生活と、Black Lives Matterについて内側から垣間見てもらいたい。

私たち家族はミックスレイス、インターレイシャル、ブラックアジアン、マルチカルチャー、国際結婚など、気分に合わせて表現が選べるという家族だ。

どこから見ても黒人の夫は、黒人の父と、白人・アジア人・黒人の背景を持つ母との間に生まれた。彼の兄弟のパートナーたちには、フィリピン人、ラトビア人、モロッコ系フランス人、ラテン系アメリカ人と、家族みんなが集まると、ちょっと古いが「We are the world」を歌いたくなる。実際にWe are the worldを作ったのは、彼らの従兄なのだから、なおのことあの歌がフィットする。もっとも世界平和より、自分たちの平和を維持することに専念している人たちではあるけれど。

全員肌の色が違う私たち家族


夫の自覚するアイデンティティーは黒人だ。「黒人」という言葉には、一つの色では表現できない多様性が含まれている。肌の色だけでいうと我が家では、義父さんと夫のようにダークブラウンな人から、義兄姉たちや我が子のようにラテン系のような人もいれば、義母さんのように白人のような人もいる。

ただ、夫が生まれ育った60年代は、彼曰く「昔から黒人の血が1滴でも入っていたら、黒人とみなされてきた」のが常識だった。これが、今もアメリカ社会に根強く残る黒人の定義であり、差別の対象とされやすい。

「パパはブラックじゃないよ、ブラウンだよ」夫が兄弟たちとの食事の席でお互いをブラックと呼び合った時、当時5歳だった私たちの子どもが言い放った。「そうだね! 君は正しいよ」と大人たちは笑ったが、肌の色は、黒人もアジア人も白人も、茶色のグラデーションのどこかに入るのだ(ここでまたWe are the worldが聞きたい)。

興味深いことに、夫の家族は自分たちを決して「アフリカンアメリカン」と呼ばない。「ブラック」というのだ。なぜなら、アメリカの歴史の中で、黒人に対する呼び方は、時代の流れで変化する意識に合わせて変えられてきたからだ。特に白人たちの意識の変化によってカラード・ニグロ・ブラック・アフリカンアメリカンと表面上の言い方が変えられてきた。黒人にしてみれば、昔も今もブラックのまま変わらない。

夫の家族の先祖にアフリカから連れてこられた人がいたのは間違いない。だが、彼らはアメリカ中西部のミシシッピー河のほとりの小さな町で生まれ育ち、大学卒業後は一般企業に就職し、結婚して家を建て、悩みながらも幸せに生きてきた中流階級の田舎者たちだ。
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文=大藪順子

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