突破口はひとつ。取材班は「下町ロケット」方式で動き始めた|#供述弱者を知る

社命ではない。明日にもつぶれかねない「町工場」のような試みだった


ここで新聞社の組織の説明をさせていただきたい。

中日新聞に限らず、新聞社が連載企画チームの取材班を立ち上げる場合、現場の指揮を執るのはデスクになる。政治、経済、社会など、どの部でもそれは同じで、指揮を執るデスクのもと、キャリアのある記者がキャップになり、専任で取材する記者が配置される。私も名古屋本社の社会部デスク時代に大がかりな通年企画のデスクを任され、東京、東海、北陸の他本社から招集されたエース級の若手記者を束ねて指揮した経験がたびたびある。

しかし、編集委員になっている今の私は、特定の部に所属しているわけではない。特定の紙面を任される専門職の編集委員が、組織の命を受けて専従する特命デスクになることは、まずない。そもそも編集委員が取材班をつくって現場の指揮を執る、などということも聞いたことがない。

今回のケースは、「ニュースを問う」という大型記者コラムを担当する私が、その欄で調査報道を始めようと思い立ち、支局に協力をお願いする、ということだ。社命でもなければ、報道関係の部署全体のマネージャーにあたる編集局長の承認を得て進めるわけでもない。あくまで私が勝手にそうしようと思って、やりはじめることなので、強制はできないし、支局長、支局デスクの協力が得られなければ、成り立たない。

チームを組む大津支局の記者たちにしても、日々の地方版のための仕事に追われており、この取材だけに専念できるわけではない。角記者が私との打合せから、手紙の抜粋メモを送るまで約2カ月もかかったのには、そうした背景もある。仮に滋賀県内で大事故・大事件が起きれば、取材はすぐにもストップしてしまうだろう。そうでなくても、記者たちは2、3年で異動になるため、チームを組んでも、その体制は常に不安定だ。実際に、2016年の取材開始から2020年3月の再審無罪確定まで、何人もの着任、離任が繰り返され、書き手が1人もいなくなってしまい、自分1人で書かざるを得ない時期も続いた。

社命で立ち上げる取材班を大企業の開発チームに例えると、編集委員が勝手に始めるケースは、明日にもつぶれかねない町工場の「下町ロケット」のような試みだとも言える。

しかし、大企業の開発チームだけが革新的な成果を上げるとは限らない。町工場だからこそ、それぞれの思いがぶれることなく効果的、効率的につながり、大きな成果につながることもある。「冤罪の確信」でつながった今回のチームはその典型だともいえる。

取材班は町工場のような下町ロケット方式で立ち上がった
取材班は「町工場」のように立ち上がった。「個」が生かされる柔軟な組織だ (Shutterstock)

バイアス封じ「1人の疑問で即止まる」


新たなメンバーとして、私たち2人に加わったのは、県警担当の井本拓志記者(31)だった。角記者は滋賀県政キャップになっており、県警担当の記者が加わるのは必須だった。紙面化になれば、大津地検、滋賀県警から反論が出てくる可能性もあり、それに備える必要もあったからだ。

2016年12月15日、私と角、井本記者の3人が初めて大津支局で顔をそろえた。この席で私は2人にこう言った。

「最初に言っておくけれど、これから先、もし、この3人のうち1人でも『冤罪ではないのではないか』と思ったら、お互い、すぐに言うように。誰が言おうと、必ず取材を止める。そこだけは、遠慮しないようにしてくれよな」
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文=秦融

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