期待の新人監督は、なぜ19世紀の小説「若草物語」を映画化したのか


映画「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」では、監督のガーウィグは、次女のジョーを主人公にして、この四姉妹の物語の脚本を書き、映像化している。子供の頃から何度もこの作品を読んできたというガーウィグだが、以前から「若草物語」は自分が脚色すべき作品だと語っていたという。

「物心ついたときから、いつも自分を形成してきた一部のような作品だった。特にジョー・マーチが好きだった。彼女になりたかったし、自分が彼女だったらいいなと思っていた」



映画では、その作家志望の次女ジョーを、物語の語り手としている。最初のシーンでは、ジョーが編集者のオフィスのドアの前にたたずんでいる。勇を鼓してなかに入ると、彼女は友人の小説だと偽って編集者に原稿を差し出す。

19世紀後半、まだ女性作家は少ない時代で、編集者からは長過ぎるので削れと容赦なくダメ出しされるが、結局、原稿は20ドルで売れる。「もし女性を主人公にするのなら、最後は結婚させろ」とジョーは厳命され、不本意な気持ちを抱えながらも、少し弾んだ気持ちで下宿へと帰っていく。

続いて場所が変わり、パリで絵画の修業をする四女のエイミー、慎ましく故郷で暮らす長女のメグと三女のベスの現在も紹介される。そしてこの現在と過去が交錯する形で、何度も時間が巻き戻されていく。

頻繁に時間と場所を移しながら、ジョーの回想という形で四姉妹の物語が語られていくが、あまりに現在と過去が切り替わるので戸惑う人も多いかもしれない。とはいえ、前者がブルーの色調、後者がセピアの色調で撮られているので、そのことを頭に入れて観ると、それほどの混乱はない。

このあたりにガーウィグ監督の入念な演出が感じられる。美しい映像と絶妙の技巧を駆使して、観客がひとときもスクリーンから目をそらすことのないようにも工夫されている。まだ監督2作目ではあるが、アカデミー賞ノミネートを始めとして評価が高いのも納得できる完成度だ。



ネタバレとなるので詳しくは触れないが、ラストではまた最初のシーンに呼応するような場面が登場し、劇中で語られる四姉妹の物語が、まるでジョーが書いた作品のようにも受け取れる構造となっている。

つまりこの映画は、作家としてひとつの物語を書き上げるまでの次女ジョーの「ストーリー・オブ・マイライフ」であり、「わたしの若草物語」なのだ。そういう意味で、悪くない邦題だと考えている。
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文=稲垣伸寿

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