110歳の黒人女性の人生 エミー賞映画から黒人差別の歴史を紐解く

映画「The Autobiography of Miss Jane Pittman」より(Getty Images)


南部の白人たちは、法に触れずに再び黒人を労働力として支配下に置く方法を編み出す。「徘徊していたから」など不当な理由をつけて黒人を大量に逮捕し、収監することで、労働力を得たのだ。メディアにおける黒人の描き方も差別を助長させた。

人種差別的内容から物議を醸した1915年の映画「國民の創生」では、黒人は白人女性を襲うレイプ犯や、反乱を起こす者として登場している。メディアが黒人を「粗野で危険な犯罪者」として映し出したことや、大勢の黒人が不当に収監されたことにより、黒人に対する恐怖心や差別の念が煽られた。KKK(クー・クラックス・クラン)などの黒人差別団体もこの頃から多く出現した。

黒人差別歴史
白人至上主義を掲げる人種差別団体KKKの集会の様子(Getty Images)

成長した主人公ジェーンは、同じ農園でシェアクロッパーとして働く黒人たちと共に、読み書きを覚えるなどして比較的平穏な日々を送っていた。しかし悲劇は突然起こる。彼女たちが勉強している小屋に白い頭巾を被った男たちが押し入り、小屋は燃やされ、仲間の一人が虐殺される。事件を受けてネッドは仲間たちと黒人の人権について考える活動を始め、次第に白人たちに目をつけられるようになる。白人たちはこのように、黒人が啓蒙されることを何より恐れ、国の法をかいくぐった抑圧行動をさらに激しくしていった。

また、1890年以降の南部では、各州が人種分離政策をとるようになった。交通機関、公立学校、レストランなど日常のあらゆる施設において黒人用と白人用を分ける、というものだ。差別的な州法の不当性を訴えた裁判では、連邦政府最高裁が「人種の隔離を強制することは、有色人種に劣等の捺印を押すことではない」として「隔離すれど平等」を正当化させた。「平等」という名のもと、黒人用の施設が白人用のものと比べて劣悪なものであったことはいうまでもない。

黒人は「奴隷」であり、劣った存在であるという偏見を変えることができない白人は、黒人差別を行い「人種的優位性」の元でアイデンティティを求める傾向が見られるようになった。

ジョージフロイド
1974年ボストン 黒人生徒が乗るバスに物を投げつける白人たち(Getty Images)

公民権法成立から56年 未だに命を奪われる


人種分離政策は1964年に公民権法が成立するまで続き、アメリカにおける人種差別を強く根付かせた。白人女性に声を掛けた黒人がリンチされるなどの事件が多発していた。

物語の最後は、回想を終えたジェーンが裁判所の白人用水飲み場に、杖をつきながらゆっくりと近づき、水を飲むシーンが映し出される。彼女は一度は断ったジミーの頼みに応えたのだ。しかし、もうそこにジミーはいない。白人用の水飲み場を使う運動を行い逮捕されたジミーは、収監中に射殺されていた。ジェーンは、奴隷仲間も、弟のように世話をしたネッドも、そして夫をも殺され、失った。

大切なものをことごとく奪われ続けたジェーンの淡々とした語りは、報われない宿命への、半ば諦めのような印象すら感じさせる。または、あまりに辛すぎる記憶だからこそかもしれない。しかしジミーの訃報を聞いた彼女は毅然と怒りと悲しみをあらわにし、ジミーが逮捕された水飲み場へと向かう。110歳の彼女にとってジミーは、恐らく最後に守りたかった存在であろう。

公民権法成立から56年。2020年はジョージ・フロイドの事件以前にも、2月にはランニング中の黒人男性が、そして3月には医療従事者として前線で戦っていた黒人女性が射殺されている。果たしてアメリカにおける根本的な差別構造はどこまで変化していると言えるだろうか。

文=河村優

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