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奴隷解放宣言後も「人権」は保証されず


南北戦争中の1863年、アブラハム・リンカーンにより「奴隷解放宣言」が公布され、南部連合での奴隷制が廃止された。その後1865年に南北戦争は北軍の勝利をもって幕を閉じ、合衆国憲法修正第13条の採択により、合衆国全体での奴隷制廃止が決定した。黒人奴隷たちは所有主のもとから解放され、選挙権も認められた。

「カリフォルニアにだってどこにでも行ける」「真面目に働いてその金で食っていくんだ」──映画の中でも、ジェーンたち元黒人奴隷は自由な身分の獲得を喜び、将来への期待に胸を膨らませながらそれまで仕えた家を出る。再出発を望んで一行は歩みを進めるが、ある夜、寝ていた納屋に白人たちが押し入り、幼いジェーンと年少のネッドを除いてあっけなく皆殺しにされてしまう。

「奴隷」としての扱いを捨てることはすなわち、最低限の住居と食物が保証される白人の家を出て、自らの身を自分で守っていかなくてはならないということだ。誰の「所有物」でもない黒人たちは、それまで以上に攻撃の対象になりやすかった。さらには黒人を人間として扱わない社会において、自ら職を見つけて稼がなければならないという過酷な選択でもあった。「奴隷身分」からの解放は、必ずしも「人権」を保証するものではなかった。

BlackLivesMatter
1950年代 アメリカの黒人労働者たち(Getty Images)

「隔離すれど平等」の正当化


幼くして天涯孤独の身となったジェーンとネッドは旅を続ける余地もなく、空腹と喉の渇きに耐えかねて、通りすがった屋敷を訪ねる。その屋敷でさらに12年もの間、事実上奴隷と変わらぬ扱いを受けることになろうとは知る由もなかった。

奴隷解放宣言後も、人権が保証されないアメリカでは黒人の経済的自立が難しく、彼女たちのように結局は白人が所有する大農園で働かざるを得ない者たちが多くいた。彼らは「シェアクロッパー」と呼ばれ、貧困や「白人に従う黒人」という構造から抜け出すことは困難だった。

さらに、特に南部では、主な働き手を失った元奴隷主たちが不条理な報復を始める。1890年から1900年代初頭にかけて黒人から選挙権を奪おうとする動きが見られるようになった。投票の際に税を納めることや、読み書きの試験が義務付けられ、貧しい黒人たちを選挙から締め出した。

BlackLivesMatter
5月29日 ミネアポリスでのデモ活動にて(Getty Images)

白人たちにも同じ条件が取られたが、彼らには「かつて投票資格をもっていた者やその子孫は投票できる」という条項が適応されるため、実質黒人だけを排斥する制度であった。こうした南部諸州の黒人差別的法律を総して「ジム・クロウ法」と呼ぶ。ジム・クロウとは、もともとミンストレイルショー(白人が顔を黒く塗り、黒人に扮して寸劇を行うショー)内の黒人登場人物の名であり、次第に黒人を表す蔑称として使われるようになっていく。

文=河村優

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