積み重なっていくエピソードの中で、人種差別だけにとどまらない、さまざまな抑圧のかたちが描かれていく。
たとえばスキーターの母もヒリーたちもスキーターの志には関心がなく、「もっと女らしい格好を」「早く相手を見つけて私たちのように結婚を」というプレッシャーをかける。
流行の大きく膨らませたヘアスタイルや華やかなドレス、しょっちゅう開催されるティーパーティ、何事もその場だけはにこやかに収めようとする主婦のマナー。白人コミュニティのジェンダー規範の縛りは息苦しいほどだ。
主演のエマ・ストーン(Getty Images)
うっかりヒリー専用のトイレを使用してクビになったミニーはその後、玉の輿婚を果たしたシーリア(ジェシカ・チャステイン)に雇われる。フレンドリーなシーリアがミニーに料理の手ほどきを受ける様子はほほえましく描かれる一方、ヒリーたちから除け物にされている彼女の姿を通して、白人の間の出身階層による差別も浮き彫りになってくる。
もちろん一番表面化しているのは、まるで呼吸するように行われる黒人差別だ。それはヒリーの言動に顕著に現れている。
「家には黒人用のトイレが必要」とメイドがいる前で強調し、一回自分のトイレを使われただけで激怒して解雇、新しいメイドが息子の進学のための借金を申し込めば鼻であしらう。彼女にとって黒人は同じ「人間」ではない。
にも関わらず、メイドの声を本にすると言うスキーターを、「本物の差別主義者に見つかったらおしまいよ」と牽制。自身がその「本物」であることには無自覚だ。自分が差別しているとは夢にも思わず、「そんなことをしたら大変なことになる」と、責任を見えない誰かに転嫁するのは、典型的な差別者のふるまいだろう。
自分を主語にして語っていい
こうした環境で暮らす黒人の恐怖を表すのが、スキーターに「話を聞かせて」と頼まれたエイビリーンが返す「あたしが怖いのは視線です」という言葉である。
人種分離政策が行われ差別が公然とまかり通り噂があっという間に広まる町で、白人の不興を買おうものなら酷いデマを流され、通りを歩けば矢のような視線が飛んでくる。
それまで沈黙を守ってきた下層の黒人女性が口を開くこと、その言葉が匿名とは言え、公開されることにどれだけのリスクがあるかは想像に難くない。
しかし口の重いエイビリーンは、密かに書くことを通して自分の人生を見つめてきた。それをスキーターに開示する場面からようやく彼女は、一方的に取材される受け身の立場ではなく、自分の言葉をもつ主体として立ち上がってくる。
最初は警戒していたミニーもある時から堰を切ったように語り出すのは、スキーターの熱意に負けたというより、エイビリーンの語りを通じて、自分を主語にして語っていい、むしろ語るべきということに気づいたからだ。