だが、2人の乗る車を警官が止める。後部ライトが消えているという理由だ。そして、武器も持たず、何の抵抗もしていないカリルは、スターの目の前で射殺されてしまう。
スターが思い出したのは、両親から教え込まれたことだ。
私が12歳になったとき、両親は私に二つの「重要な話」をした。ひとつは、よくある鳥とミツバチについて(性の話)。もうひとつは、警官に止められたときにどうするのか、という話だ。
お母さんは嫌がって、まだその話をするには子どもすぎるとお父さんに反対した。けれども、お父さんは、子どもすぎるから逮捕されたり銃で撃たれないというものではないと反論した。スターよ、スター。警官が何を言っても、そのとおりにしなければならないよ。そうお父さんは言った。両手は、常に警官から見えるところに置いておかなければならない。いきなり動いてはいけない。あちらが質問したときに答える以外には話しかけてはいけない。
けれどもカリルはそれを守らなかった。「僕がいったい何をしたんだ?」と警官に反論してしまった。そして、怯えているスターを心配して「大丈夫かい?」と尋ねた。警官がカリルを撃ったのはそのときだった。ショックを受け、怯えたスターは、最初のうちは自分や家族の平和を守るためにも沈黙を守る。
けれども、社会から何の価値もないように扱われるカリルの命と人生に憤りを覚え、声を上げることにする。
肌感覚として理解できる彼らの「憎しみ」
この小説のタイトルである『The Hate U Give』は、1996年にヒップホップ抗争と思われる銃撃で亡くなった2パックの作ったフレーズ「Thug Life(サグ・ライフ)」から来ている。
サグとは、インドの秘密犯罪結社を由来としたもので、その後「強盗、悪者、ギャング」を意味するようになった。現代の音楽では「サグ・ライフ」というフレーズでヒップホップ的な生き様を表現する。これについて、2パックはかつて、「The Hate U Give Little Infants, Fucks Everybody(おまえたちが幼い子どもたちに与える憎しみが、すべての者をめちゃくちゃにする)」の頭文字を取った略語だと説明した。
『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ━━あなたがくれた憎しみ』(Angie Thomas著、服部理佳訳、2018年、岩崎書店刊)
この小説を読むと、アメリカの黒人たちが生まれたときから毎日のように与えられる「憎しみ」が肌感覚として理解できる。
アメリカでは、カリルのように武器を持っていないにもかかわらず警官に殺される黒人が後を絶たない。だから、大人たちは、スターの両親のように子どもに「警官との接し方」を教えなければならないのだ。
この小説が描いているのは、白人による黒人差別だけではない。黒人街で、黒人が黒人を犠牲にするストリート・ギャング問題も描いている。
とても暗いテーマだが、しかし白人やアメリカ社会への怒りだけを描いた本ではない。何があってもスターの味方をする白人ボーイフレンドのクリスのキャラクターも含め、この小説は最後には希望を感じさせてくれる。(2017年11月「ニューズウィーク」)
【追記】このエッセイを書いた後でも、武器を持っていない黒人が警察官に殺される事件が後を絶たない。2019年10月12日には、テキサス州の自宅で甥と一緒にいた28歳の黒人女性が、家の外から警官に射たれて殺される事件があった。夜中に家のドアが開きっぱなしになっているのを心配した隣人が警察に(緊急ではない)電話をして様子を確認してくれるよう頼んだのだが、警察官は中にいる者が誰なのかを確認する努力もせずにいきなり窓の外から女性を撃ち殺したのだった。警官は辞職し、裁判にかけられることになったが、これまで同様の事件で有罪になった警官はほぼ皆無である。(2019年10月)
『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(2020年、亜紀書房刊)
渡辺由佳里◎エッセイスト/洋書書評家/翻訳家。1995年よりアメリカのボストン近郊在住。新刊の英語の本を紹介するブログ「洋書ファンクラブ」主宰。小説『ノーティアーズ』(新潮社)でデビュー。 『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)など著書多数。翻訳書には糸井重里氏監修の『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経ビジネス人文庫)、レベッカ・ソルニット著『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)など。最新刊は『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)。