経済・社会

2020.06.07 17:00

横田滋さんだけが気づいた娘からの「メッセージ」

横田滋さん(2002年10月16日撮影、Getty Images)

87歳で亡くなられた横田滋さんについて忘れられないことがある。中断していた日本と北朝鮮の政府間交渉が3カ月ぶりに再開された2004年11月のことだ。

このとき、日本からは外務省、警察庁など19名の訪朝団が組織され、交渉のテーブルについた。交渉の目的は、北朝鮮側の説明を矛盾点から突き崩すことにあった。その2年前、小泉純一郎首相が訪朝した日朝首脳会談により、拉致被害者の蓮池薫さん夫妻、地村保志さん夫妻、曽我ひとみさんの5人が25年ぶりに帰国している。

内閣府は帰国した被害者から聞き取りを行い、A4サイズの極秘ファイルを作成。中身がマスコミに漏れないように「拉致被害者・家族支援室」(当時)内部で厳重に管理していた。このファイルをもとに、横田めぐみさんなど他の被害者が「死亡」したという北朝鮮側の説明に誤りがあると、追及する予定でいたのだ。

例えば、めぐみさんが入院した病院は「平壌49号予防院」ではなく、(中国との国境沿いにある)「義州の病院」という点や、「1994年に死亡」という時期の説明に矛盾があることなどだ。


横田さんご夫妻(2011年撮影、Getty Images)

しかし、この交渉で日本側が想定していなかったことが起きた。横田めぐみさんの元夫が姿を現したのである。

横田めぐみさんの元夫は、韓国人拉致被害者のキム・チョルジュンこと金英男氏である。10代の少年時代、友だちと海水浴をしているときに北朝鮮の工作船に連れ去られたとされている。金英男氏についてはのちにテレビカメラの前で記者会見を行うまで、当時の時点ではどういう人物か詳細は明らかになっていなかった。横田めぐみさんと結婚した後、蓮池薫さん夫婦や地村保志さん夫婦と同じ「太陽里」という集落で暮らす仲間だったという。

当時、私は金英男氏のことを日韓両国で調べた。蓮池さんと同じ翻訳所で働いた時期があり、勤務先で蓮池さんと共に徹夜作業をする同僚だったという。金氏はめぐみさんと離婚後、1997年に平壌市人民委員会副委員長の娘で、党幹部専用の専門学校生と再婚。この副委員長は金正日総書記と昵懇の仲である。つまり、めぐみさんの元夫は将軍様を囲むグループの一員になっていたのだ。

日朝政府間の交渉中に、めぐみさんと婚姻関係にあった人物が現れたのは、日本側にとって大きな驚きだった。そして、金英男氏は意外なものを日本側に手渡した。それがめぐみさんの「遺骨」である。

のちに日本政府の鑑定で別人のものとされて、世論が騒然となったことを覚えている人も多いだろう。結局、この交渉で進展はなく、その後、日本では「北朝鮮のニセ遺骨」報道が過熱していった。このとき、もう一つ大きなニュースとなったのが交渉の席で渡された3枚の写真だ。おとなになった横田めぐみさんの写真である。

それまで報道される横田めぐみさんの写真といえば、中学に入学するときの制服姿の写真がほとんどだった。新潟で行方不明になる前の近影である。1977年に誘拐事件として捜査に使用された写真だ。母親の早紀江さんによると、あの写真はめぐみさんの体調が悪いときに撮られたものであり、「表情が娘らしくない」ものだという。この写真が長い間、報道を通して国民の目に焼き付いていただけに、北朝鮮側が渡した写真は驚きをもってテレビで何度も報じられた。だが、いくつもの番組で、この写真の真偽を訝しがるコメントが噴出した。
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文=藤吉雅春

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