「影の位置がおかしい」「背景が変だ」「偽造修正されているのではないか」というのだ。遺骨の件と同様に、3枚の写真についても、ああでもないこうでもないと議論が飛び交ったのである。しかし、そうした騒ぎをよそに報じられなかったのが、横田滋さんの言葉だ。
滋さんは日本政府側から写真を手渡されたとき、こう口走っている。
「あ、めぐみだ」
滋さんにしかわからないメッセージが写真にはあった。カメラが趣味だった滋さんは、めぐみさんが生まれたときから熱心に写真を撮り続けてきた。笑うとエクボができる娘をかわいがり、カメラを向けるとき、よくこう言ったという。
「右足を出して、少し斜めに肩を出すと、かっこよく写るよ」
父親が向けるカメラのファインダーに向かって、小さな娘が笑顔を見せて、父親から教わったポーズをとる。世界中のどこにでもある親と子のありふれた風景だ。
そして1977年に新潟市内から姿を消してから27年後。父親は、成人しためぐみさんの写真を突然渡された。写真のなかでめぐみさんは立ち姿だった。大人になった彼女は、右足を出し、少し斜めに肩を出していたのだ。幼い頃、父親がカメラのファインダーで覗いたときと同じポーズをとるめぐみさんがそこにいた。言葉はなくても、父と子にしかわからない合図であるかのように──。
2004年に北朝鮮側が渡してきた横田めぐみさんの写真
この話を私が書いたのはそれから2年後の2006年、前述の金英男氏が28年ぶりに韓国の母親と姉に再会したときだ。もう14年も前である。その後、横田滋さんとは酒席でご一緒するなど、何度かお目にかかる機会があった。しかし、言葉を交わした記憶はほとんどない。「あ、めぐみだ」という写真の出来事だけで十分な気がして、改めてお気持ちなどを質問するのが馬鹿げているように思えたからだ。
嘘、謀略、不信、断絶。そんな言葉ばかりが渦巻く日朝の間で私が目の当たりにしたもの。それは、父親にしかわからない本物の絆だった。だからこそ、長く北朝鮮報道に関わった端くれとして、何も手助けができない自分の無力さを痛感した。滋さんが亡くなった今、改めてそう思うのである。