現役引退を表明したラグビー大野均が、盟友トンプソンに贈ったエール


「灰になってもまだ燃える」


迎えた昨秋のワールドカップ日本大会。日本代表の快進撃はあらためて説明するまでもないだろう。初戦でロシア代表に勝利すると、2戦目では当時の世界ランク1位のアイルランドに19─12で逆転勝ち。サモア代表も退けると、前回大会で敗れている因縁のスコットランドも28─21で撃破した。

1人のファンとして夢を託しながら、いてもたってもいられなくなったのだろう。南アフリカとの準々決勝を翌日に控えた10月19日に、大野はトンプソンへ電話を入れる。タイミング的にどうかと逡巡したが、周囲を奮い立たせるプレーで日本をけん引した盟友にどうしてもひと目会いたくなったのだ。

「トモから『午後なら時間が空いているから大丈夫だよ』と言われたので、激励しに行きました。ワールドカップではトモの存在感に他の選手たちも引っ張られるような形になって、全員がすごくいいパフォーマンスをしていた。ホテルで会ったトモは、すごくいい表情をしていました」

3大会ぶり3度目のワールドカップ優勝を果たした南アフリカに屈した準々決勝で、日本の快進撃は幕を閉じた。外国出身選手として歴代最多の71キャップを獲得してきたトンプソン、そして大野、日本代表のロックをけん引してきた鉄人コンビも、今年、両名とも引退した。大野は語る。

「大学からラグビーを始めた自分はパスもキックも本当に下手くそでしたが、チームに対してどのような貢献ができるのかを考えたときに、思い浮かんだのは走ることと激しさでした。自分のように遅く始めても、必ずできるポジションがあるのがラグビーというスポーツだと思っています」

大野は福島県郡山市で生まれ育ち、清陵情報高では代打要員として野球部に所属。日本大学工学部でも野球を続けるつもりだったが、巨漢を見込んだラグビー部から熱烈な勧誘を受けているうちに翻意した。

東芝ブレイブルーパス時代を含めて23年間に及んだ、異彩を放つラグビー人生はさまざまな教訓を残してくれた。不器用を自認する初心者が適材適所のもとで生かされ、一芸に秀でた部分、大野の場合は座右の銘でもある「灰になってもまだ燃える」を貫くことで、歴史に名前を残す名選手となった。

ワールドカップでラグビーに魅せられた子どもたちだけではない。熱き生き様を介してビジネスパーソンにも勇気与えた大野は、現役引退後は母国で農場を営む39歳のトンプソンへ、笑顔でエールを送っている。

「引退はしますけど、これからも日本ラグビー界のためにいろいろとやってくれるはずだし、何よりも周りが放っておかないと思うので」

同じ言葉を大野にも捧げたい。新型コロナウイルスの影響でトップリーグが中止となった関係で、最後の花道をユニフォーム姿で飾れず、現役引退会見もオンライン形式になった大野。それでもラグビーそのものには携わっていくと明言している鉄人が描く、人生の第二章を誰もが楽しみに待っている。

連載:THE TRUTH
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文=藤江直人

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