現役引退を表明したラグビー大野均が、盟友トンプソンに贈ったエール

South China Morning Post/Getty Images


「ブライトンの奇跡」でも揃い踏み


4大会連続出場となるトンプソンを含めた、日本大会に臨む代表メンバー31人が発表された昨年8月29日のことだ。所用で大阪にいた大野はファンへのサインをしたためながら、こんな声をかけられている。

「つい先ほど、トンプソン選手にも会ったんですよ」

代表入りしたトンプソンはモードを日の丸に切り替えて、東大阪市内の自宅から東京へ向かおうとしていた。気がついたときにはトンプソンへ連絡を入れていた大野は、梅田駅で会い、夢と魂を託している。

「立ち話程度でしたけど、最高のタイミングで会うことができて、本当によかったと思っています」

身長192cm体重105kgの大野と、2004年にニュージーランドから来日し、2010年には日本国籍を取得した身長196cm体重110kgのトンプソン。空中戦を担うロックに求められるのは、高さと強さだけではない。タックルをはじめとして、地上戦でも愚直な仕事に徹するツインタワーは日の丸を背負ってずっと戦い続けてきた。

ともに3度目のワールドカップとなった2015年のイングランド大会。初戦で優勝候補の一角、南アフリカ代表を終了間際のトライで34─32と逆転で撃破し、会場名を取って「ブライトンの奇跡」と世界中から称賛された伝説の一戦でも、2人はロックとして先発で揃い踏みしている。

しかし、続くスコットランド代表戦に敗れたことが響き、3勝をあげながらベスト8進出の悲願は成就できなかった。それでも万感の思いを募らせたトンプソンは母国ニュージーランドで出会った夫人と、日本で生まれた3人の子どもと過ごす時間を優先させたいとして、直後に代表引退を表明している。

「新しい歴史をつくることができた。キンちゃん(大野の愛称)は4年後も大丈夫だけど、僕はおじいちゃんだから無理です。ちょっと寂しいけど、これが僕にとって最後のテストマッチです」

しかし、運命は再びトンプソンを代表へと引き戻す。2年後の2017年6月。アイルランド代表を招いたテストマッチを戦っていた日本代表のジェイミー・ジョセフヘッドコーチは、大野を含めたロック陣に故障者が続出した苦境のなかで、トンプソンに急遽、代表復帰を要請した。

「生まれた国がどこなのかは関係ない。僕には日本のプライドがある」をモットーとして貫いてきたトンプソンは、日本代表の窮地を救おうと、迷うことなく代表に復帰。無念の戦線離脱を余儀なくされた大野へ、電話越しに「キンちゃんの代わりだから頑張るよ」と決意を語っている。

テストマッチ出場記録を歴代最多の98キャップに伸ばし、前人未踏の3桁到達をも視野にとらえていた大野が日本代表で刻んできた軌跡は、アイルランド戦を前にした、この離脱を最後に途切れる。一方のトンプソンは再び熱い思いをたぎらせ、ワールドカップ日本大会へと再び歩み始めていった。
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文=藤江直人

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