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最先端の経済誌「Forbes JAPAN」の記事紹介

5月25日発売のForbes JAPAN7月号は、「パンデミックVSビリオネア 変革を先導せよ」特集。Forbes恒例の「世界長者番付」と「日本長者番付」の2020年版を発表、米Forbes誌が総力を上げて取材した豪華ビリオネアのインタビューを一挙公開する。

今回はオラクル創業者のラリー・エリソンの独占インタビューの後編を一部お届けする。
<前編は『世界5位の富豪がハワイでつくる「実験ユートピア」』>


エリソンはニューヨーク・ブロンクスのシングルマザーのもとに生まれた。母親は、シカゴに住む叔母に彼を預けた。エリソンはイリノイ大学や、短期間ながらシカゴ大学にも通ったが、どちらも卒業していない。彼が権威を嫌うのは、恐らくそうした生い立ちと無関係ではないだろう。

彼は21歳のときにカリフォルニア州バークレーに移った。時あたかもカウンターカルチャーと市民権運動が盛んだった1960年代半ばのことだ。当時の彼はシエラネバダ山脈に情熱を傾け、そこで川下りのガイドやロッククライミングのインストラクターとして働きながら日々を過ごした。その頃に彼は初めてラナイ島のことを耳にした。当時のラナイはドール社の所有するパイナップルのプランテーションだった。

「ドール社を買収するにはいくらかかるのかを調べたよ。私が銀行に預けていた1200ドルよりずっと高かった」と、エリソンは言う。「それでも私はそのことを考えた。わお、ラナイを手に入れれば、楽園を手に入れられるぞと」。

短い大学生活の間にプログラミングを学んでいたエリソンは、その1200ドルをもっと増やそうと、週に2、3日、IT企業で仕事をし始める。それから11年間、彼はIT系スタートアップでプログラミングを手がけ、キャリアの階段を昇った。

ビル・ゲイツがマイクロソフトを共同創業した2年後にして、スティーブ・ジョブズがアップルを立ち上げた翌年の77年、エリソンは同僚プログラマーのロバート・マイナーやエドワード・オーツとともにオラクルを起業した。社名はエリソンがCIA向けに手がけたデータベースプロジェクトから取った。

オラクルはデータベース管理用のソフトウェアを販売し、企業が人事データや経理データを蓄積・分析する手法を一変させた。80年代に入ると、エリソンは攻撃的で生意気だとの評判を取り、オラクルもまたその個性を反映した会社となっていった。

ところが90年に、オラクルは会計上のスキャンダルに直面する。彼らが完了していないプロダクトの売り上げを計上することによって数字を水増ししていることを、ウォール街に気づかれたのだ。同社の時価総額は37億ドルから7億ドルに急落した。顧客と銀行はエリソンに辞任を求めた。彼はそれを拒否して競合他社の買収を進め、業界を再編するとともに、データベース管理ソフトの販路を拡張して、オラクルを復活させた。

今日に至るまでに、オラクルは800億ドル以上を費やし、140件の企業買収を行ってきた。その中には巨額の敵対的買収も2件、含まれている。1件は05年のピープルソフト(103億ドル)、もう1件は08年のBEAシステムズ(85億ドル)だ。

やがて12年になると、生涯の「戦利品」が目の前に現れる。22歳のときに購入を夢みたラナイ島が、突如として売りに出されたのである。「クロード・モネがついさっき描き上げ、売りに出したばかりの絵を見たら、たったの400ドルだったみたいな状況を想像できるかい?」と、エリソンは言う。「あれは売値を遥かに超える価値があった」。

彼は3億ドルをぽんと支払い、新たなユートピアを構想し始めた。

文=アンゲル・オウ・ユアン 写真=ジャメル・トッピン 翻訳=町田敦夫 編集=岩坪文子

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