さすがプレミアムカーだと唸らされたが、実は数年前まで、ボルボはプレミアムブランドとして認知されていなかった。かつてのイメージは、上質で安全だが、やや無骨な準プレミアム輸入車。一定の支持は得ていたものの、顧客の趣向の変化をとらえきれず販売台数は減り続けていた。そこにメスを入れたのが、2014年に外部招聘で社長に就任した木村だった。
「自動車の成熟市場は、プレミアムとコモディティの二極化に向かいます。その流れのなかで、ドイツ車ほど高級感がなく、国産車ほど経済的でない“準プレミアム”では勝てないという危機感がありました」
ポジショニングの見直しで意識したのは、顧客を理解することだ。
「ドイツ車のユーザーとデータを比べたところ、年齢や性別、年収などのデモグラフィックはほぼ同じ。ところが、ボルボだけ平均単価が低かった。お客様の負担能力が同じなのに単価に差がついたのは、お客様を理解していなかったから。値引きするより、付加価値をつけて単価を上げたほうが買っていただけることに、私たち自身が気づいていなかったのです」
木村は社長就任後、それまで一部オプションだった最新の安全技術を全車標準装備に替えた。最廉価の「V40」エントリーモデルが300万円を超えることについて、社内から疑問の声があがった。しかし、「正しいか間違っているか。それはお客様が教えてくれる」と反対を押し切った。
顧客は、この決断を支持した。18年の受注台数は、22年ぶりに2万台を突破。社長就任前に比べて1.6倍に増え、V字回復したのだ。
顧客が答えを教えてくれる――。
その信念は、最初に入社したトヨタ自動車で叩き込まれた。若手時代は、海外営業部門で商品企画を担当。一般的に商品企画は本社で仕事をするが、トヨタは「海外のディーラーに話を聞きに行け」と木村を積極的に送り出した。ヨーロッパ地域統括本社時代の年間の出張日数は150日。営業担当と遜色がないほど顧客のもとに足を運んだ。
転職したのは42歳のときだ。大企業では50代にならないと子会社の社長にすらなれない。「脂が乗っている40代を順番待ちで過ごしたくない」と思い、当時、海外で現地法人を次々と立ち上げていたファーストリテイリングに転職。「まず社業を勉強しなさい」と柳井正会長に言われて、営業部門で海外の所長候補を育成する仕事を担当した。