船内で親しくなった乗客の中には、リタイアした外交官や大学教授、元警察官やMI6、またグリーンベレー(米国が有名だが発祥はイギリス)をはじめとする陸海空軍の退役軍人も多くいた。80歳前後の英国人は、親や親戚が第二次世界大戦の戦場を経験しているので、日本軍と戦い捕虜となった話などを聞かされて育った最後の世代だ。だから、親から受け継いだDNAとして、日本人に恨みを持っている人もいる。
ある晩、前述の医師夫妻グループと夕食をしていた時のこと。「今から話すこと、悪く思わないでくれ」と、ビルマ戦線や泰緬鉄道での日本軍の行為を詳しく現地調査したことのある77歳の医師が切り出した。
中には聞いたことのない残虐な話もあった。医師仲間が、「それを言ったら、英国人も植民地時代に随分とひどいことをしてきたじゃないか」と言ったり、奥さんが「あなた、もうやめなさいよ」と何度かなだめに入ったりしたが、誰も彼が熱く語るのを止められなかった。
私たちは既に親しくなっていたため、その医師は別れ際に「本当にすまない、変な話をして。僕らは今まで通り友達だからな」と強く抱擁してくれた。私はしばらく放心状態で言葉を失う一方、自分の無知を恥じた。私は祖父母や父から東京大空襲や疎開時のひもじさを聞いて育った世代だが、日本軍のこうした話は英国に移り住むまでほとんど知らなかった。
3.11、忘れられない誕生日
3月11日(日本時間)、船内アナウンスで、前日キュラソー島で検査を受けた5人に新型コロナウイルスの陽性反応が出たことが公式に伝えられた。いよいよ恐怖は現実となり、覚悟は決まった。
3月11日の航路を示すモニター(バルバドスから入港を拒否され、目的地をバハマに変更、航路を90度曲げた)
船内での最後のピアノリサイタルを行ったその日は「東日本大震災の日」であると同時に、私の47歳の誕生日だった。演奏前に5人の新型コロナ陽性を知り、このタイミングで奇しくも誕生日を迎えたことに強い「使命感」とエネルギーが体中から湧いてきて、今まさに「人種や言語、宗教の壁を越えて人々の心をつなぐことができる“音楽の力”がものをいう時だ」と思い、高齢の乗客たちを元気付けられるよう全身全霊で演奏した。
演奏後、思わぬサプライズが私を感動させた。お客さんたちが全員でバースデーソングを大合唱してくれたのだ。この時、脳裏に映画『ビルマの竪琴』で敵味方だった日本兵と英兵が「埴生の宿」(Home Sweet Home) を一斉に合唱するシーンが蘇った。まさに、音楽によって皆の心が一つになる瞬間だった。
そしてもうひとつ、忘れ難い出来事があった。コンサート後、険しい顔付きで話しかけてきた英国人のおじいさんがいた。彼は最後に「……でもお前さんのせいで、初めて日本人のことが好きになったぞ! 本当にありがとう!」と言ってウインクし、微笑んだ。音楽家冥利に尽きる体験だった。
コンサート後に船室に届いていたバースディ・カードやプレゼント、感謝の手紙