時代小説なのに「僕」?
この小説の風変わりな魅力は、評定所の重々しい武家言葉から、いきなり「僕」が現れる語りの急変だろう。
時代小説に今日的一人称が登場する唐突さに一瞬びっくりさせられるが、やがて「僕」の妙味が、胸に沁み入ってくる。
その朝、お奉行は「僕」に「青山玄蕃なる流人を津軽三厩まで押送せよ」と口伝えで申しつけ、立ちぎわに「本件は一切口外すべからず」と一言つけ足した。
「僕」は石川乙次郎、十九歳。三十俵二人扶持の同心の家から、二百石取り与力の家に婿入りしたばかりの与力見習いである。
「僕」は三厩が何処にあるか知らないし、青山玄蕃という流人のことも名前しか聞かされていない。
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玄蕃が大身の旗本であることは、伝馬町で検使与力が読み上げた三奉行連名の申し渡し書、見送りの一族郎党の人数、玄蕃の口ぶりなどから察しがついたが、何の罪で蝦夷地に流されるのか、教えられていなかった。
申し渡し書にも、罪状は「不届き至極の行状」としか書かれていない。仕置きは「格別の御沙汰をもって罪一等減じ改易闕所の上蝦夷福山松前伊豆守殿許へ永年お預け」と要領を得ない。
千住大橋が見えてきた辺りで、「僕」は直かに訊した。
「貴公、何をした」
流人は「御定書の四十八」と耳元で囁いただけだった。四十八条は「不義密通の罪」である。
こやつは「ろくでなしの破廉恥漢」だ。
道中の初っ端から、押送人の胸に先入観が凝り固まった。
「礼」とは何か
だが流人と押送人の道中を様々な人生が横切り、すれ違う人たちの曇りのない目が、青山玄蕃の実像を徐々に炙り出していく。
「僕」は時々考える。五常の仁義礼智信で言う「礼」とは何か。今の世の何処に礼があるのか。礼が廃れたから、御法が出来たのではなかろうか。
行きずりの出会いの中で、「僕」は玄蕃に「天下の御法よりずっとありがたい人間のやさしさ」を見た。
これが「礼」なのではないか。押送人「僕」は初めて、心が「ほどける」のを感じるのである。
若い町方与力には、もう一つ疑念がある。
「人が天に代わって人を裁く権利があるか」
こんな純朴な疑いに悩むナイーブな若者には「それがし」や「みども」のような侍言葉は似合わない。
作者は行きずりの出会いの場では、流人と押送人を「二人の侍」と書き、ありふれた人の目に玄蕃の姿を語らせる。
「僕」の先入観に曇った目と、ありふれた人の目に映る玄蕃の像が、いつ何処でどのように重なるのか。この小説に引きこまれる理由の一つである。