巣ごもり歴史教養|浅田次郎『流人道中記』の一人称が「僕」な理由

『流人道中記(上)・(下)』(浅田次郎著、中央公論新社刊)

新型コロナウイルスが人類を悩ます痼疾となり、世界の現在をおびやかした。強い都市が海を越えて次々に襲撃されたことを考えれば、それはグローバリゼーションがもたらした災禍ともいえるだろう。

そしてさかのぼれば14世紀、モンゴル帝国がユーラシア大陸の大部分を支配していたころ、やはりその軍隊はペスト(黒死病)を世界各地にもたらした。現在のコロナ禍はそんなことからも「ペストの21世紀版」、ともいわれているが、思えば現在起きている事柄の「伏線」はすべて、歴史に埋め込まれているのかもしれない。

従来のライフスタイルに比べて自由な時間ができた今、そんな「歴史」に思いをめぐらせてみるのはどうだろう。

「PDCAサイクル」を超速で回すことが習慣になり、その渦巻にいつしか巻き込まれて世界や時代の風景が見えなくなっているわれわれに、なんらかの教えをもたらしてくれるかもしれないある歴史小説がある。浅田次郎著、『流人道中記(上)(下)』だ。

そしてこの時代小説にはなぜか一人称「僕」、が登場する。

毎日新聞社でジュネーブ支局長、パリ支局長、学芸部長、英文毎日局長などを歴任後、「AFPBB News」編集顧問も務めたジャーナリストの伊藤延司氏に、この作品を読んでいただいた。


この小説を読んで、1980年のヨーロッパと僕を思った。

その年の2月、僕はユーゴスラビアのベオグラードでチトー大統領の死を待っていた。チトー亡きあとのユーゴとソ連の関係を取材するためだった。

そして同じ年の夏には、東欧のワルシャワでレフ・ワレサ(後のポーランド大統領)の「連帯」の動向を追っていた。

ベオグラードでもワルシャワでも、僕は東京のデスクが性急(せっつ)いて来る「ソ連介入」予定原稿の出稿を拒否し続けた。

欧州の共産圏で何かが起きると、必ずソ連が介入するという固定観念がバカらしかったからだ。

固定観念と先入観は、人の目を曇らせる。

そう思うこと自体が、僕の固定観念かもしれない。

だから、人に押しつけるつもりはない。

『流人道中記』を読み終えた僕は、改めて茨木のり子の詩「倚りかからず」の一節を口ずさんでいる。

「もはやいかなる権威にも倚りかかりたくはない」。

序章から気にかかる「町奉行の挙動」


時代は万延元年(1860年)。不義密通の罪で切腹を申し渡されながら、仕置きに納得しない罪人、青山玄蕃を「蝦夷(北海道)福山松前伊豆守殿お預け」とする幕府評定所の裁定が出たところから物語ははじまる。

評定は寺社・南町・勘定奉行の三手掛り(三人合議)で行われた。寺社奉行の水野左近将監は出羽山形五万石の大名、町奉行の池田播磨守と勘定奉行の松平出雲守はともに三千石の旗本。これに流人預かりの福山藩主を加えて、四人はいずれも実在の人物である。それだけに、大名と旗本の確執が窺える取り合わせに興味が湧く。

とりわけ目を惹くのが町奉行の沈着な挙動である。言葉少なながら「はじめに結論ありき」の仕置きに誘導する老練な仕切りには、青山玄蕃の姦通事件を隠蔽しようとする意図が見え隠れする。

小説は「序」の章から、感動の結末を予感させるのである。
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文=伊藤延司 編集=石井節子

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