ライフスタイル

2020.05.25 21:00

アートに救われた。8000キロを超えた奇跡の邂逅


美術落第生だった、私


小学校から始まった美術の授業。嫌いだった。なぜなら、絶望的に絵が下手だったから。美術の授業の成績が「3」を超えたことはない。
advertisement

唯一の良い思い出といえば、中学校の美術で、自画像を書く授業。当時の美術教師が、私の自画像をいたく気に入り、学内報にまで掲載されたほどだ。ただ私も、友人も、一様に首をかしげる。顔の形も不均一で、二次元的。小さな子供の落書きの様な下手くそな絵のどこがいいのだろうと。

久々に思い出していると、理由がなんとなくわかった。自画像の私が来ているパーカーには、「SOS」の文字が。ある意味、自分の内心を皮肉な形で描写したその姿を、先生は面白がったのかもしれない。

こんな経験を経ると、子供心に、芸術コンプレックスというか、自分に才能がないことを思い知る。
advertisement

高校に入ると、女子の気を引きたい気持ちもあって、バンドを始めた。最初は軽い気持ちだったが、やり始めると熱くなる性格。次第にのめり込んでいった。毎日数時間練習し、指の皮がタコになった。

ただ、ここでも芸術コンプレックスが再燃する。音感もない、リズム感もいまいち。練習をすることで、どうにか形になっている風ではあったが、自分なんて、大したことないだろう。そんな心の声が聞こえてくる。

高校も卒業し大学生になる頃、なんだかばかばかしくなってしまって、ベースを手放して、音楽をやめた。根性がないだけかもしれない、才能を言い訳にしただけかもしれない。でも、やっぱり美術や芸術の世界とはプロとして関わりは持てないだろう。心の中で確信していた。そんな私を変えてくれたのが、カメラとの出会いだった。

写真を撮ることで、初めて、自分を肯定できた


なんかつまらない。人間なら、誰もが思春期に呟きそうな言葉であるが。大学2年生にもなり、なんとなく、サラリーマンにでもなるのかなぁ。そんな代わり映えのしない人生に飽き飽きしていた。もっと飽き飽きしていたのは、100の準備をしても、勉強やスポーツ、あらゆることで、60〜70くらいの力しか発揮できない自分自身と自分の才能に、だったのかもしれない。

そんな時、カメラに出会った。最初は、使い方もわからないし、面倒臭そうな機械。きっとすぐに飽きるかなぁと思いながら。当時、私は友人とフリーペーパーを作っていたのだが、誰かが写真を撮らないといけない場面があり、購入しただけだった。

どちらかというと、雑誌作りに熱中していたこともあり、大切な撮影はプロの方にお願いをしていた。そんな現場を見たとき、ライティングやスタジオの独特の空気感に、かっこいいなぁと思ったことを覚えている。それでも、芸術コンプレックスの私は、「まぁこれは別の世界の話だなぁ」とどこか自分と壁を作り、傍観していた様に思う。

そんな私の転機は、ロンドンへ留学した時だった。大学3年にもなり、ひょんな縁からロンドンへ留学することに。大学生なりに頑張って、雑誌作りをしていたおかげで、ストリートスナップをアルバイトで撮影してほしいという仕事を見つけた。そんなアルバイトを続けていると、ロンドン在住のクリエイターとも仲良くなる。興味本位で、スタジオでお手伝いをしたり、質問をしたり。憧れの世界に引き寄せられる様に、そんな日常を楽しんでいた。

「うわぁ。これ、俺の想像以上かも」。そんな日常を経ていると、自分でも写真作品なるものを撮りたくなる。初めて、自分でライティングを組み、スタジオで撮影すると、人生で初めて、自分が想像しているよりも物事がうまくできた。いま見れば大したことのない写真だが、これは私にとって、軽い衝撃だった。普通は自分の想像よりもうまくできないことばかりなのだが、自分の想像よりうまくいくことが一つでもできて、初めて自分のことを肯定できた様に思う。

こんな単純な、人からみれば大したことのないことが、その後の私の人生を決めた。

誰かのための、社会のためのアートという可能性


そんな私も、ロンドンから帰って来て、紆余曲折を経ながらも、2017年にフォトグラファーとして独立した。初めは不安だらけだったけど、多くの方達との出会い、助けがあって、今では私と嫁と子供の生活を支えられるくらいになった。

芸術コンプレックスがあった私でもなんとかやってこられたのは、商業撮影には、「目的」がしっかりあることが多いから。「目的」をしっかり見定め、万全の準備をして、ベストを尽くす。ある種デザイナー的に、「目的」に対して、誠実に写真を返すことでなんとかできる自信もついてきた。

ただ、そんな私も、「写真作品」「個展」「写真作家」といったワードには、引き続きコンプレックスからか、アレルギーを持っていた。

アートは自己表現なる言葉を聞くにつけ、そもそも、大して芸術的な才能のない自分が、自分のために作った作品なんて誰が見たいんだ、と。もっといえば、表現をする内的な動機もないのに、セルフブランディングのためにやる個展なんて、吐き気がするくらいだった。きっと半分は言い訳、半分は本音だった様に思う。

そんな私も、ついに作品を撮ろうと思うタイミングがきた。新型コロナウイルスが世界中・日本中に蔓延し、緊急事態宣言が発出されたこの4月。予想通り、対面を伴う撮影は全面的に自粛され、基本的に私の仕事は無くなった。いつもは商業的な仕事に追われるように働いていたこともあって、久しぶりに立ち止まり、何をするのか、何をしたいのか、自分に問いかけられるタイミングだった。

「何がしたいのだろう」。ぼんやりと考えていると、100年に一度のこの危機をフォトグラファーとして撮らないといけない気がむくむくと芽を出した。アート作品は難しくとも、報道的な意義のある写真なら、誰かが求めてくれるのではないか? 心の中で、自分の芸術コンプレックスとも折り合いがついたことで、自然に動き出すことができた。

それでも、まだ凡庸で、人が求めるものの様に感じられない私は、頼りにする友人やバーのオーナーに相談して、緊急事態宣言下の東京の夜を撮影し、バーを支援するプロジェクトを始めることになった。

始めた当初は、これが「アート」なんて思いはあんまりなかった。純粋に「写真を撮って、人に届けて、動かして、何か友人の助けになれば」。それくらいの気持ちで初めたことだった。

ここで、冒頭に戻る。プロジェクトを始めてみると、知らない方が連絡してくれて、作品を買ってくれたりする。そして「これはアートだね」と価値を認めてくれる人まで出始めた。

今までは、「Art for myself」と誤解をしていてアレルギーを持っていた自己表現・自己活動の世界。「Art for others / society」でもいいんだと、プロジェクトに、周りの優しい方々に教えてもらえたおかげで、なんか肩の荷が降りた気がする。必要以上に気張って、生きて来たのかもしれない。

純粋に写真が好きで、写真を使って、誰かを少しでも幸せにする。それに商業も、アートもあんまり関係ないんだ。そう思えたことで、少し気が楽になって、フォトグラファーとしての筋みたいなものがピンと通った気がした。

勇気を持って行動しよう。善なる思いはきっと届く


長くなってしまったが、この文を読んでくださる皆さんも、きっとコンプレックスやアレルギーをなにかしら持っているだろう。そして、世界が自分を必要としているのか、悩むこともあるだろう。

私の拙い経験からしか伝えられないが、「他者のための善なる行動」は、全員ではないが、きっと人に届く。そんなことを、クラウドファンディングを、アートチャリティーをやる中で感じることができた。そしてこの経験で、芸術コンプレックスという長年の呪縛から少し解き放たれた様に思う。

「身近な誰かのため」自分の心が自然にそう思えたタイミングで、みんなも自分から行動してみるのはどうだろう。世界や他者を助けるかもしれないというだけではなく、きっとその経験は自分を救うことになるのだから。

小田駿一 Night Order
人のいない有楽町ガード下。夢中に壁に反射する光を追っていたら、僕らを勇気づける様な火の鳥が写っていた

小田駿一 Night Order
大井町の東小路横丁。飲食店のネオンが集まって、渦の様になっていた。光のレコードみたい。

小田駿一 Night Order
バー「渋谷花魁」。いつも人にあふれている。あったかい光は、いつも変わらない。

小田駿一 Night Order
渋谷円山町「そのとうり 」。酔っ払ったことを思い出しながら、泥酔している自分の視界。

小田駿一 Night Order
天使が降りて、世界が幸せになりそうな。自分の中では、こんな世界だといいなぁ。


小田駿一◎1990 年生まれ。福岡県出身。早稲田大学卒業。2012 年に渡英し独学で写真を学ぶ。 2017 年独立。 2019 年に symphonic 所属。人物を中心に、雑誌・広告と幅広く撮影。高画質の作品はこちら

文、写真=小田駿一

タグ:

連載

Night Order

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事