東大工学部から世界最高峰の美大へ。吉本英樹が目指すテクノロジーとデザインの高度な融合

Tangent代表 吉本英樹氏 Photo by Ari Takagi


──その間も、インタラクティブなデザインを手掛けていたんですか。

そうですね。フォーカスする領域は少しずつ変わりましたが、基本的には自分の強みはデザインとエンジニアリングの境目をなくものを作るということなんです。僕はデッサンなどは未だにうまくできませんし、いわゆるプロダクトデザイナーとしての教育は受けてきたわけではないので、テクノロジーとクリエイティブという軸はずっと変わっていません。

──RCAで一番学んだことはなんですか。博士課程では何をするのですか。

僕の場合は先生が2人ついて、自分が設定してきたテーマに対して、日々実験して考えたり文献を読んだりしながら先生とディスカッションし、最終的に論文にしました。

僕は修士課程のころから飛行船プロジェクトでも論文を執筆していたので、研究方法や論文の執筆方法とはなんとなくわかっているつもりでした。それはRCAでも通用すると思っていたら、まったく太刀打ちできませんでしたね。工学部から美術大学へと環境が変わり、そこにいる人たちや先生たちの考え方や流儀みたいなものがまるで変わってしまったからです。

違いを認識して、自分の中で消化できるまで2年くらいかかりました。とても苦労しましたが、今振り返ってみたらそれが面白くもあり、自分にとって非常に良かったと思います。


RCAで研究の方向性が定まるきっかけになった「Kihou」

個人的な考えで言うと、工学部のエンジニアは、まったくの自由に考えて、思いつきでやるということはできない。航空機は機械が正常に動かないといけないし、動かないと墜落して人の生命が奪われる。技術に対して責任を負わないといけない。だから斜め上からの発想みたいなものは非常に難しい。要するにそれまで蓄積された研究の上で自分もそれを拡張していく、体系的に考えることが非常に多いのです。 

しかし、RCAの博士課程に入って、「今後5年間のPhDの研究の中でこういうプランでやろうと思っているんです」と教授に提示したら、「こんなものは全く意味がない」と却下されたんです。どうしてこのプランが正しいと言えるのか、このプランがベストだと思えるのか、やってみないとわからない。だからプランを立てても意味がないのだと。

僕としてはプランも立てずに白紙の状態で何から始めたらいいのかもわからないですし、どこに向かっていけばいいのかわからないし、やるだけで闇雲にやっても前進する気がしない。教授とは噛み合わないやり取りが結構続きました。

後から考えると、ジェットエンジンを作る技術者と、家具やオブジェを作っているデザイナーでは、責任のとり方が違うんですよ。

ジェットエンジンはその人だけが作るものではなく、何千人、何万人という研究者の知識の積み重ねの上にあるものです。一方で家具のデザインはその人で完結したデザインであって、個人で責任を負うものです。その椅子がかっこいいかかっこ悪いかはそのデザイナー個人の責任であって、その椅子が売れる売れないというのはその人のセンスや考え方、スタイリングがいかに多くの人の共感を得られるかどうかにかかります。だからこそ、デザイナーの個人名がプロダクトと一緒に表に出ることも多い。
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文=クローデン葉子

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