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Casio G-Shock DW-5700-1JF (2001年発売/通称”スティングモデル”の復刻 日本仕様初代モデル スクリューバック搭載 筆者所有)

アマゾン ジャパンの立ち上げメンバー(社員番号4番)であり、現在はキャリアインデックス(東証一部)で執行役員を務める曽根康司氏。1990年代には原宿と下北沢で時計店を経営したのち、海外から仕入れた時計を時計店などに卸す「時計商」を営んだ経験を持つ。

曽根氏は、1996年大ブームだった「Casio G-Shock」の仕入れをブーム真っ只中で減らしたきっかけについて今、振り返っているという。「コロナ下のあの必需品」の需給バランスにも寄せて、以下、ご寄稿いただいた。


1996年冬。限定のG-Shockペアモデル発売で長蛇の行列


マスクが余りはじめたようだ。

1990年代後半、私は腕時計のバイヤーをやっていた。人々が携帯電話を持ちはじめ、インターネットは、まだ電話回線を介してつないでいた時代。アジアの街頭に残っている珍しい時計を現金で買い付けて、日本に持ち帰れば売れた時代だった。

香港、尖沙咀 (チム・サー・チョイ)のネイザン・ロードを北に向かい、左に折れた先に猫がいる時計屋があった。目ぼしい物(ブツ)はなく、早々に退散しようとすると店主が言った。

「二階も見てみるかい? Swatch(スウォッチ)が、売るほどあるぞ」微笑みを浮かべながら、冗談だか本気だか分からない言葉だった。

二階に上がってみると、そこにはギャラリーのように大量のスウォッチが置いてあった。数年前に起きたスウォッチ・ブームのときに仕入れた在庫が大量に積み上がっていたのだった。結局、私は何も手を出さずに帰ったが、今思えば、キース・へリングのスウォッチぐらいは探しておけば良かったかも知れない。


Getty Images

1996年、売れに売れたのは今も人気のCasioのG-Shockだった。貴重なモデルにはプレミアが付き、普段は時計を扱っていない店でもG-Shockを置くようになっていった。さらにブームが過熱すると、うちの時計店に近くのお店の人がG-Shockを買いに来て、数時間後には、そのお店で同じ商品が違う値段で陳列される、というようなことが起きていた。冬に発売された限定のペアモデルの発売日には量販店に長蛇の行列が出来、すぐに数倍の価格が付くような事態になっていった。それでもブームは去らなかった。

文=曽根康司

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