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2020.06.09

人生100年時代の暮らしは血縁より「友縁」? 老後のシェアライフを考える

ジェイティクリエイティブサービス発行、小学館スクウェア発売の雑誌『分』2004年冬号の巻頭。写真=宇佐美雅浩《近谷浩二、徳永俊博、荻原康彦 東京 2001》©︎USAMI Masahiro, Courtesy of Mizuma Art Gallery


思い巡るは超「ゆるシェア」の老後━━


そんな折、さらに、どこに住み、誰と暮らすかを考えさせる出来事が、筆者に起こった。

実は昨年、近谷氏たちに話を聞いた直後、「夫が明け方に心臓疾患でICUへ緊急入院」という経験をしたのだ。

病院へと同行した後、1人でトボトボと帰宅したその日の朝、静まりかえった部屋にぽつねんと収まった瞬間、発作的にLINEしたのは近くに住む友人だった。内容は「もし、お互い、連れ合いに先立たれたら、同じマンションに住むのはどう?」だった。

彼女とは、地元の予備校時代から始まる36年間の腐れ縁。学生時代は、大学で寮生活をしていた彼女が、筆者の下宿に毎週末泊まり込みに来た仲でもある。そして縁重なり、今は文字通り「スープが冷めない」、「醤油の貸し借りができる」距離に住む間柄だ。

近谷氏の話を聞いてまもなくだったこともあるが、配偶者の「まさか」に遭遇した朝、わが心が筆者に提案したのは、「これからは友人とのシェアライフもありかもしれないぞ」だったのだ。

思い浮かんだ風景は、同じマンション内の別々の部屋(できれば他階がいい)。肉や野菜のまとめ買いをした時に分け合うのもいいし、気が向いたら食事を一緒にしても、話し込んで興に乗ったらどちらかの部屋で1泊してもいい。あるいは逆に数週間、連絡を取り合わない期間があってもいい。

どちらかが別の街に越す、あるいは老人施設に入居することで突如解消することになってもうらみっこなし。「共同生活」や「契約」の概念とは縁遠い、そんな、超のつく「ゆるシェア」つながりの景色だったのである。

おかげさまで筆者の夫は九死に一生を得、共同生活を再開したが、あの日、くだんの友人からLINEを通してほどなく返って来た「うん、いいよ」の返事は、以来、筆者のほのかな心の拠り所となった。

「オンデマンドな生活圏」の可能性も


そんなことを考えていた矢先、博報堂生活総合研究所発行の「生活圏2050」プロジェクトレポート『CITY BY ALL』を手に取る機会があった。

そこには、「さまざまなひとたちが知識、経験、得意なことを持ち込み合い、相互作用を起こす『場』で遊んだり、伝えたり、会話したり、経験を共有することで新たな生活圏が作られる」と書かれていた。また、そんな新しい生活圏での営みから、時々刻々と変わる時代の中で、何が今後「暮らしを支える資本」になり得るのかが明らかになるとも。

友人たちとのシェアライフはまさに、「さまざまなひとたちとの経験の持ち込み合い」ではないか。しかもそれは、「偶然、近くに住んでいる」とか「偶然、血がつながっている」というもので、地縁や血縁のような、自然発生的なチェーンではない。

強さや思いの差こそあれ、そこには少なからず相互の「選択」が介在する。「選びあった」仲ならではの塩梅で、得意なことや知恵がシェアされるだろうし、古い友人であればあるほど、共有している「記憶」が愉快なクサビとなってチェーンを支えることもあるだろう。

義理や責任を去った「友縁」ベースで、オンデマンドかつ自律的に暮らす。「友縁」でつながった生活単位が、より1人1人に最適化された生活の場を作り、「暮らしを支える資本」となる──。そんな「人生100年時代」の風景もあるかもしれない。

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文=石井節子

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