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ジェイティクリエイティブサービス発行、小学館スクウェア発売の雑誌『分』2004年冬号の巻頭。写真=宇佐美雅浩《近谷浩二、徳永俊博、荻原康彦 東京 2001》©︎USAMI Masahiro, Courtesy of Mizuma Art Gallery

新型コロナウイルスの感染拡大は、世界に歴史的な規模のショックを与えた。今後、ウィズコロナ時代を迎えるにあたって、物理的にどこに住み、誰と暮らすか(誰の近くに暮らすか)は、これまでよりもさらに大きな意味を持ってくるに違いない。

実は、筆者には、そのことを考え直す機会が2度ほどあった。まだ新型コロナウイルスが猛威を奮う前の、昨年のことだ。

時は20年前。三十男3人のシェアライフ


その1度目は、2000年はじめにすでに、その後一種ブームともなった「シェアハウス」を実践していた人物の話を聞いたときだ。日本文学を海外に「輸出」する活動を行う翻訳出版プロデューサー、近谷浩二氏は、20代の頃に米国のハリウッドで俳優としてそのキャリアをスタートさせたが、30代のはじめ、日本へ帰国した直後、同年代の男性の友人2人と同居暮らしをしていたというのだ。

近谷氏は次のように回顧する。

「演劇の稽古を終え、深夜、くたくたになって千駄木のアパートに辿りつく。畳の上に倒れ込み、そのまま眠りに落ちた。ところが……。築30年のボロアパート、天井はところどころ剥がれて穴があき、私が眠りにつくやネズミたちがその穴から畳の上に落下傘部隊よろしく飛来してくるのである。寝ていた私の顔のすぐそばにドサっと音を立てて落ちてくるネズミたち。1人用の蚊帳を買い、しばらくはネズミよけにしていたが、ネズミの数は増える一方。すがる思いで未婚の後輩2人に声をかけ、共同生活を提案したのだ」

20年前、三十男の共同生活に、世間は決してやさしくなかった。加えて、当時の近谷は売れない俳優、友人2人のうち1人も売れないミュージシャン。3人で不動産会社を訪ね歩くも、地下鉄サリン事件後だったこともあり、敬遠されることもあった。

10軒以上は断られ、その日も中央線沿線の不動産会社は全滅で、吉祥寺からあてもなくバスに乗り、ついたのが西武池袋線の保谷駅だった。

駅前の不動産屋で、60絡みの頑固オヤジ風オーナーがじっと話を聞いてくれた。そして、「いい年をした男3人で何ごとか。世間はお前たちが考えるほど甘くない!」と2時間近く説教は食らったものの、友人の1人が堅気の公務員だったことも奏功してか、駅近の3DKの物件を紹介してくれたのだ。

そんなふうに始まった野郎3人暮らし。どこで聞きつけたか、当時無名だった写真家、宇佐美雅浩(今は県立美術館で特別展が開催されるなどの活躍している)から、「3人の暮らしを撮影させてほしい」との頼まれる。そして撮ってもらった写真は、小学館スクウェア発売の雑誌『分』の2004年冬号の巻頭を飾った。

文=石井節子

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