創造性を育む「毒」との対峙の仕方。ポストコロナに向かうべきは超清潔社会か

トマトはイタリア語でポモドーロ。意外にも200年もの間、食用ではなかったとされる。(GettyImages)


毒を含む食品の代表として日本の「ふぐ」がある。刺身の透き通る美しさや、皮まで活かした煮こごりなどの多様な調理法含め日本に勉強に来る外国人研究生には一度は知って欲しく度々プログラムに取り入れている。しかし、あるイタリア人科学者は万が一毒にあたったら困るからと、ひれ酒さえも口にしなかったことがあった。言うまでもなくひれに毒はない。

一方、イタリア人が日常的に何にでもたっぷりとかけ、健康に良いとされてきたオリーブオイルは、このコロナ騒動で突然に重症化を引き起こす原因だと毒扱いされた。昨日までの慣れ親しんだ食品が、突然として排除されるという混乱に皆がたじろいだ。

消毒作業をするイタリア
イタリアでは都市封鎖が徐々に解除され、各地で消毒作業が進んでいる。(GettyImages)

そんな今だからこそ、人間にとって毒はどのように働いてきたのか改めて考えたい。免疫の働きを考えれば明らかなように、徹底的にリスクを排除した超清潔社会は私たちにプラスとなるのかは懐疑的だ。適度に毒にさらされることで人間は抵抗力を培い、多様な環境に適応することが可能になってきたのではないか。

そして食べ物は、その土地の環境と人間に最適であるよう、数百年の時を経て私たちの食卓に昇っていることも思い出さなければならない。無知は無用な恐怖を生む。情報過多な現代の毒消しの特効薬は、情報に翻弄されず、自らの頭と五感を使って学ぶことだと言えるだろう。

自分たちの土地や文化に最適化された食品、目には見えないけれど私たちを守ってくれる常在菌、環境や風土は勇敢な私たちの祖先が、毒をも恐れず何百年もかけ、渡してくれたバトンである。地球の裏側のスーパーフードを、CO2を排出し、複雑な行程と高い関税を支払って購入する前に、足元にある食が私たちの命を支えるために進化してきたという事実を知り、感謝して享受したい。

食という文化のフロンティアを知れば知るほど、地球上に存在するもの全ての繋がりに思い知らされる。たとえ人間には毒と言われるものも、地球のどこかで何かに活かされている。新型コロナウイルスですら、数十年かけても望めなかったレベルで私たちの経済活動を抑制し、地球環境の悪化を食い止めていると言われているのだから。この世に存在しているものには、私たち人間には計り知れない、大いなる役割があるのだろう。

コロナで一変した世界は私たちに問う。私たち人間は、不要と決めつけた毒を社会から徹底的に排除し、理想とする世界を目指すのか。それとも毒とも対峙し、調和へ向けて創造する社会を築くのか。ひとつの解は、ダーウィンの言葉にあるかもしれない。進化するものは、強者ではなく新たな地球環境に適応するものだ。
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文=齋藤由佳子

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