創造性を育む「毒」との対峙の仕方。ポストコロナに向かうべきは超清潔社会か

トマトはイタリア語でポモドーロ。意外にも200年もの間、食用ではなかったとされる。(GettyImages)

もう2カ月以上コロナのために封鎖されたイタリアの地方都市で隔離生活を送っている。

かつて日本人の観光客がマスクや日傘をしているのを奇妙に観察していたイタリア人が、いまやマスクをして買い物に出かけ、家の玄関で靴を脱ぎ、家に入るやいなや入念な手洗いをするという日本的ともいえる新しい生活習慣の中で暮らしている。

ついこの間までスーパーの片隅に申し訳程度に置かれていたハンド用の消毒液は、今やレジ横に並ぶ主力商品だ。店舗の入り口に除菌液スタンドと過密を避けるための入場整理券が置かれているのも日常の光景となった。この数週間でイタリアの衛生観念は革命的に変化したと言える。そのうち日本のように「除菌効果」を謳う新商品がどんどん発売されるのかもしれない。

他にもコロナ禍のイタリアで飛ぶように売れているものがある。トマトソースと小麦粉だ。今やイタリア料理の代名詞といえば、トマトソースたっぷりのピザやパスタというのが世界の常識である。

実際は、私が住む北イタリアのピエモンテでは伝統料理と呼ばれるものにトマトソースを使う文化はなく、山に囲まれたこの辺りでは濃厚なバターやチーズ、ワインやハーブがソースとして主流だ。それでも非常時には、この手軽に作れ、子供から老人まで愛される国民食が選ばれる。しかし意外にこの国民食の食文化としての歴史は浅い。

毒があるものを「文化」に昇華する人間のクリエイティビティ


トマトがスペインからイタリアに入ってきたのは16世紀のナポリだが、長らく貴族の観賞用として食べられることはなく、200年もの間は食べ物として無視されていた。料理に本格的に使われ、現在のピザやパスタの食べ方が広まったのはやっと19世紀後半のことである。トマトはイタリア語でポモドーロ、Pomo d’oro、すなわち黄金の林檎と呼ばれ、美しいが「毒のある魔の果実」と信じられ敬遠されていた。

食用化のきっかけは諸説あるが、飢餓に苦しんだ貧しい農民が命がけで食べ、その後南イタリアを中心に試行錯誤の品種改良が進み、食用としての栽培が広がり、現在にいたるという。
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文=齋藤由佳子

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