ああ、日本に帰れなくなった「ラトビア取り残され記」

トムスマ・オルタナティブ

もし海外滞在中に国境が封鎖されたら、あなたはどうするだろう? 新型コロナ感染により、日本に帰国できなくなった人たちがいる。地球儀のかぶりものをして世界で活躍する現代アートのトムスマ・オルタナティブもその一人。彼女はラトビアに取り残されたのだ。トムスマさんに現地から寄稿してもらった。


国境封鎖から6週間が経過した、ラトビアの首都リガからこの文章を書いています。今はここも草花が芽吹き、春の訪れを感じています。

実は、当初、私はリガを出発してロンドンへ渡り、3月31日にイギリスから日本に帰国する予定でした。その上空で誕生日を迎えるというラブリーで刺激的なイベントを自作自演で企画していましたが、もっと刺激の強いイベントとなりました。そうです、新型コロナ感染拡大で、ラトビアが国境を封鎖したのです。

そもそも、「あんた、ラトビアで何やってんの」と思われるかもしれません。ラトビアに来たのは、リガの美術館 RIGA BOURSEでの展示のコラボ参加の機会をいただき、そのリサーチを理由に、嬉々としてフィールドトリップをしていたのでした。そんな探索の道中、非常事態宣言を知りました。

空港へ急いだ時、大勢の人々が一斉に出国する光景を見て、悩みました。長時間の乗り継ぎ、幾多もの感染クラスター経由……。そう考えた瞬間、妙な確信が湧いてきました。間違いなく自分は感染拡大を起こす一因になってしまう。私の気管支は圧倒的に弱いのです。

本来なら私は、居候先であるロンドンの友人宅へ戻る予定でした。しかし、すでにロンドンは新型コロナ感染で大混乱の渦中です。そこにコロナたちと肩を組んだ私がのこのこと訪ねていく図はやっぱり避けたい。

最後の飛行機が出るギリギリまで迷った末、ラトビア在留を決めました。そして空港から宿をとりました。情報が入ってこないのが恐怖だったので、いつも誰かがいるであろうドミトリーをブッキングドットコムで予約して、速攻で宿へ向かいました。この選択で良かったのだろうかと思い巡らしながら。

到着すると、宿泊客はなんと私一人だと言うじゃないですか! 完全に判断を誤った……! 私の顔が青ざめていくのを見て、ドミトリーのスタッフは穏やかに笑って、ハイブリッドな言葉でこう励ましてくれました。「Cool!」と。

あれー、私、これからどーするのぉ? 

3月12日、ラトビア政府は16名の感染者が確認されたとして、非常事態宣言を出しました。14日に国境閉鎖を発表。陸海空の出入国を制限し、国際線の運航は停止されました。17日の封鎖時点で感染30名。私の「ラトビア居残り生活」が始まったのです。



日本人人口60人の、合唱好きの国


最後の飛行機まで迷ったのには、もう一つ理由があります。これからどうなるのか見当もつかない世界的騒動を目にして、ふと、再びここを訪れる日は来るのだろうか、いま志半ばで去ることに、心残りという淡いものよりももっと強い、脳と心臓を含むほぼ全細胞が合唱を始めたのも事実です。ちなみにラトビアが合唱大国だってことを知りました。

1月に、Sigulda(スィグルダ)という地域を歩いていたときのこと。ふと教会を見つけたのでふらっと入ってミサに参列しました。みなさんの賛美歌が常軌を逸して美しいので、私はてっきり音源を流しているものと思いました。しかしどう考えても生歌であることを理解し、驚きのあまり神様のことをすっかり差し置いて、その歌の美しさにロックオンしてしまいました。後日、5年に1度の歌と踊りの祭典があり、国民の半数以上が本格的な音楽教育を受け、何らか楽器もできる文化なのだと知りました。とてつもない人数で歌う、歌と踊りの祭典、映像で見ても鳥肌ものです。


教会は非常事態宣言の前に撮影。エストニアと同じく「歌う国」と言われている。
次ページ > そもそもラトビアとは?

文=トムスマ・オルタナティブ 編集=藤吉雅春 一部写真=SOO

ForbesBrandVoice

人気記事