地球にとっては人間なんてウイルスみたいなもの?

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地球は本当に丸いのか


現代の科学はより普遍的な宇宙レベルでの抽象的で数学的な万物の尺度を目指しているが、長さの基準として、誰もがその存在を実感できる地球という星を選んだことは、人類にとってはごく自然でリアルな選択だった。

話が脱線するが、今年2月に米カリフォルニア州で、地球が平らであることを証明しようと自作のロケットで100km上空を目指した飛行士が墜落死するニュースが出ていた。アメリカやカナダでは、地球平面説を唱える団体がいまでに活発に活動しており、それに賛同する人にはメートルという単位も意味をなさないかもしれない。

この時代にそんな話はナンセンスに思えるが、それを単に一蹴して笑い飛ばせばいいというものでもない。地球が丸いと思っているのは、実はわれわれがそう教えられているだけで、自らの目で確かめた人は実際にほんのわずかしか存在していない。飛行機などで上空から見た地平線は湾曲しているが、地球全体を見渡すためには国際宇宙ステーションよりもっと遠くから眺める必要がある。

人類が初めて地球が球形であることを目で確かめたのは、1968年12月24日に月の周回軌道に入ったアポロ8号から撮られた、月の縁から見える半分光った地球のカラー写真を通してだが、当初は地球を撮影することは予定に入っていなかったという。そして、1972年12月7日にアポロ17号が月に向かう途中で、「The Blue Marble」(青いビー玉)と呼ばれる、太陽を背にした青く美しい完全な球形の地球の姿を捉えた。

現在ではこうした写真が多く公開され、地球が丸いという常識は当然のように思われているが、最初にこれを見た人々は見ると聞くのでは大違いと驚嘆したに違いない。学校で教わった世界の地理とはまるで違う、国境や紛争など見えない宇宙で一つだけのかけがえのない姿は、実際に自分の目で見て経験しないと本当の理解は得られないものだ。

こうした人類の世界観の大きな転回点が起きた1968年には、アメリカ西海岸で丸い地球の写真を表紙に使った「Whole Earth Catalog」(全地球カタログ)という雑誌が出された。この雑誌は、カウンター・カルチャーの真っ最中に、スティーブ・ジョブズなどの若者の支持を得て、彼らがそれまでの国家主義の枠を超えた地球環境問題などに目覚めたという。

その精神はまた新しいテクノロジーという手段と結びつき、体制に支配されない個人の創造性を支援するパーソナル・コンピューターや、地球規模のコミュニティーを実現するインターネットの出現に寄与することとなった。

しかしまだ、地球のサイズから作られたメートルの支配するわれわれの世界は、民族や国家間の紛争や、意見の違う他者との確執から自由にはなっていない。こうした人類をあざ笑うがごとくに、新型コロナウイルスは国や地域を超えた感染拡大を続け、最初に他国の対策を冷ややかに見ていた人々も、これがグローバリズムに抗うような人類全体の問題であることを実感しつつある。

ウイルスというと目に見えない恐ろしい存在に思えるが、メートルで比較すると人間が仮に地球の大きさなら、コロナウイルス(1000万分の1m)はちょうどわれわれ人間のサイズに相当することが分かる。人間なんて地球に巣食うウイルスぐらいの存在なのかもしれないと考えると、コロナ騒動と地球環境問題の相似形が見えてくる。

メートルが推し進めた近代の持つ想像力を超えて、インターネット時代の世界の基準を何に求めるか、コロナ危機を契機にもう一度論議すべきときに来ているのではないか。

文=服部 桂

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